― 14 ―定の形状があり、長さが19センチ程かそれ以下で、胴の中央に溝があり、額・耳掻がない。これは素材にニホンジカの中足骨を用いたためで、寸法は骨の長さ、中央の溝は中足骨の縦溝と呼ばれる溝に由来する(注7)。鎌倉時代の笄には、銅などの金属製の作例も時折みられるが、寸法と形状は骨角製のものを踏襲する。小柄については、管見の限りでは伝世品、出土品の例がなく明確な理解を得られない。しかし、雲出島貫遺跡の腰刀が表裏に櫃を持つことから、この時期には小柄が存在していた可能性がある。また、返角は、13世紀後半の遺跡と考えられる神奈川・長谷小路周辺遺跡から、栗形と返角をニホンジカの角から彫り抜いた遺物が多数出土しており(注8)、これらの栗形はこの後のものと寸法、形状がほぼ同一であることから、栗形もこの頃には一定した形式となったことが分かる。以上をまとめると、鎌倉時代の腰刀は呑口式を基本とし、櫃には一定した規則がなく、栗形と返角は同時代後半までには一定の形式が見出され、笄は骨角製、あるいはその影響を受けた金属性のものを用いていたと推定される。Ⅱ.南北朝時代同時期は刀身の形状に大きな変化があった時代で、鎌倉時代の短刀〔図5−1〕は、刃長(刃わたり)が25センチ程で刃方に反る形状(内反り)だったが、14世紀中頃には30センチを超えるものが登場した〔図5−2〕。表1は、東京国立博物館に所蔵・保管される、鎌倉時代の延慶3年(1310)から安土桃山時代の天正18年(1590)に至る短刀、脇指43口の刃長及び重量の分布図である。この表の通り、鎌倉時代の短刀は、刃長が22.4〜28.3センチ、重量が99〜352グラムまであり、その分布領域は狭い。一方、南北朝時代の分布領域は広く、刃長は22.1〜41.2センチ、重量も99〜299グラムまであって多彩であり、多くの短刀には浅い反りがつく。反りのある刀剣を円滑に抜刀するには、鞘内部を刀身よりもわずかに大きくし、同時に「鞘走り」(刀身の意図しない脱落)を防止する必要がある。そのために太刀、刀などの大型の刀剣では、刀身に鎺はばきと呼ばれる金具を装着して鞘と刀身を固定する。小笠原信夫氏は、この固定形式について先述した呑口式から鎺を用いる合口式への変遷を提示され、腰刀には、「呑口式」から「合口式①(刀身に装着する鎺(下鎺(下貝))と柄に取りつけた鎺(上鎺(上貝))を組み合わせる形式)」、「合口式②(柄から上鎺を独立させて下鎺と組み合わせる形式)」へ移行したことに言及されている〔図3〕(注9)。さらに、岡田賢治氏は、14世紀前半から中頃の間に、刀身の保護や脱落防止のため呑口式から合口式①へと変化したことを指摘されている(注10)。
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