― 230 ―ら採られていたと考えられる。トカル・キリセ旧聖堂(10世紀前半)(注16)はその様相が良く保存されている例である。一方で様々な祝祭から十二の重要な祝祭を選び、十ドデカオルトン二大祭が整備され、これが聖堂装飾に取り入れられるのが11世紀後半から12世紀の出来事とされる(注17)。「聖母の眠り」は十二大祭図像の一つとして、多く描かれるようになったようである。カッパドキアでの作例数の少なさは、一つにはこの「十二大祭サイクル」が壁画装飾の規範として受け入れられるのが遅かった、あるいはついに伝達することが無かったことに由来するものと思われる。壁画主題としての「聖母の眠り」は、他の主題がキリストの生涯の前後に集約される説話であるのに対し、大きく時間が離れたものである。従ってキリストの生涯を描くことに主眼が置かれていれば、その最後は「昇天」もしくは「聖霊降臨」が描かれることが多かったのではないか。また他の主題は多くは聖書から採られ、そうでないものも外典などに基づくが、「聖母の眠り」は教父、聖職者の説教に多くを拠る。このような点は、「眠り」がそもそも聖堂装飾へと「進出」するのが遅れた理由と言えるであろう。カッパドキアでの作例の少なさは、以上のような理由に基づくと思われる。筆者がカッパドキアの「眠り」図像において注目する点は、キリストの姿勢にある。比較対象として、10世紀、首都制作の象牙浮彫を挙げ、具体的に論じたい。カッパドキアの図像では、キリストはマリアの魂を自らの頭部、あるいはそれより高く掲げる姿勢を採る。このような姿勢が、10世紀の象牙浮彫と共通するものであることは既に指摘されている(注18)。また、上空に大きく2天使が描かれ、左右から魂を挟むように迎える構図か、或いは異時同図的に左に降りてくる天使を、右に魂を抱え天に昇る天使を描く構図で描かれる。2天使モティーフもカッパドキア、象牙浮彫に共通である。ところが他地域の聖堂に目を転じれば、魂を高く掲げる構図と2天使モティーフはいずれも中期の聖堂にほぼ限定され、後期、ポスト期の図像には見られない構図である。更に中期においても、一部の作例は後期に見られる魂を胸元に抱える姿で描かれる〔図11〕(注19)。中期から後期への構図の変遷は、マグワイアにより「聖母の眠り」と聖堂内で向かい合うアプシスコンクの「聖母子」との関連が指摘されている(注20)。すなわち同じく子を抱くという構図の共通性から、「眠り」のキリストは魂を高く掲げる姿勢から、胸元に抱えるような構図を採るようになり、聖堂内東西の図像の形態的一致が図られるようになったとするものである。以上の先行研究の指摘はいずれも妥当なものであるが、カッパドキアで後期に至るまでキリストの「古い」姿勢が描かれ続けたことは看過されている。筆者はこの点が、カッパドキアの「眠り」の特質であり、更にビザンティン美術におけるカッパドキアという地域の特
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