― 233 ―⑹A.W. Epstein, “Frescoes of the Mavriotissa Monastery near Kastoria: Evidence of Millenarianism andAnti-Semitism in the Wake of the First Crusade”, Gesta XXI/1 (1982), pp. 21-29.⑺S.J.Shoemaker, “Let us go and burn her Body”: The Image of the Jews in the Early DormitionTraditions”, Church History 68:4 (1999), pp. 775-823.⑻N. Thierry, op.cit., p. 433.⑼A.W. Epstein, Tokalı Kilise: Tenth-Century Metropolitan Art in Byzantine Cappadocia, Washington,D.C., 1986, pl.100.⑽本調査に当たりトルコ政府より各聖堂の撮影許可を得たが、トカル・キリセ及びギョレメのメリェマナ・キリセのみは許可が認められなかった。⑾R. H-Mac Lean, H.Hallensleben, Die Malerschule des Königs Milutin: Die Monumentalmalerei inSerbien und Makedonien, Band 3-5, Giessen 1963, pp 15-16.⑿菅原裕文、武田一文「カッパドキア、ギョレメにおける未報告聖堂の図像プログラム」『エクフラシス』第5号、早稲田大学ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所、2015年3月、pp. 22-38.⒀本聖堂については高氏の論を参照。氏は「眠り」図の構図についても当聖堂を交え論を展開している。高晟埈「カッパドキア岩窟修道院聖堂壁画の研究 アーチ・アルト・キリセシ(ウフララ渓谷)」(修士論文、東京藝術大学)、1999年、51-53頁; 高晟埈「カッパドキア岩窟修道院聖堂 アーチ・アルト・キリセシの装飾プログラム」『美術史』154号、2003年、243-255頁。⒁N. Thierry, op.cit., p. 450.⒂Ibid., pp.449-450.⒃A.W. Epstein, op. cit., p.14ff..⒄E. Kitzinger, “Reflections on the Feast Cycle in Byzantine Art”, CahArch 36 (1988), pp. 51-71.⒅高晟埈、前掲「カッパドキア岩窟修道院聖堂壁画の研究 アーチ・アルト・キリセシ(ウフララ渓谷)」51-53頁。⒆A. Stylianou, J.Stylianou, The painted Church of Cyprus: Treasures of Byzantine Art (2nd. Ed.), Nicosia1997, p. 117.⒇注⑷を参照。� 益田朋幸『ビザンティン聖堂装飾プログラム論』中央公論美術出版、2014年、pp. 75-104.� 拙稿「パナギア・マヴリオティッサ修道院の聖堂装飾プログラム─「キミシス」と「最後の審判」を中心として─」『美術史研究』48冊、2010年、pp. 23-44.� すなわち、聖堂で祈りを終え、退出する際に「眠り」を目にすることになる。「眠り」の前に立つ観者はマリアの魂に自らの魂を重ね合わせ、終末の日に自らもキリストにより救済を与ることを願うのである。前掲論文参照。� ウフララ渓谷の4小聖堂につき、簡潔ながら以下に報告した。拙稿「カッパドキア、ウフララ渓谷の聖堂調査に関する覚書─新発見の小聖堂群を中心に─」『エクフラシス』第5号、早稲田大学ヨーロッパ中世・ルネサンス研究所、2015年3月、pp. 39-46.
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