― 237 ―㉒ 明治期の美術染織に関する一考察─明治宮殿を中心に─研 究 者:家具道具室内史学会事務局 菅 﨑 千 秋はじめに本論文は、日本近代、特に明治期に建築内を装飾した「美術染織」に注目し、それを建築装飾として捉え、建物全体との関係の中で、その意味や機能を歴史的に考察することを目的とする。美術染織とは、画家に下絵を描かせた絵画を、織、染、刺繍などの染織技法によって、建物の室内を飾ることを目的として壁掛や額などに表したものである。このような織物は、京都の染織産業の近代を語る上で欠かすことのできない存在である。その一方で、これらは建築装飾として製作されたにもかかわらず、染織技法や歴史的価値という文脈で論じられることが多く、作品そのものの分析やそれが設置された建物や空間については顧みられることはなかった(注1)。筆者は、これらは単なる装飾ではなく、それが置かれた場の性格を定め、そこに「相応しい」と考えられる主題やジャンルによって、その場の格付けを行なうと考える。従って本研究では、これらの織物について、表された主題やモチーフなどの作品分析、さらに建築装飾としての観点からの分析など、様々な側面から詳細に考察したい。1、明治宮殿概要美術染織が設置されたのは多くが皇室建築などの大規模な建物であるが、とりわけ明治宮殿(明治21年〈1888〉竣工、昭和20年〈1945〉焼失の明治・大正・昭和三代の天皇の住まい)の装飾事業は、その先駆けであり大きな意味を担っている。まずその概要を振り返ってみよう。明治元年(1868)、明治天皇が東京へ移った後の住まいは、かつての将軍の住まい、江戸城西の丸御殿であった(注2)。それが明治6年(1873)に焼失したため、明治天皇・皇后は紀州徳川家江戸中屋敷であった赤坂離宮に居を移し、ここを仮皇居と定めた。炎上した皇居を再営しようとする動きはこの年すでにあったが、国用黟多の時に際して宮殿造営を急がぬよう詔勅があり、具体化せずに終わっている。その翌年、太政官より宮殿再営と本丸に諸官省を建設する旨の布達があり、工部省に対して、敷地測量と諸建物位置結構の調査を命じられた。そして明治9年(1876)5月になって太政
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