― 239 ―に衰退しつつあった西陣の救済にもつながる、と度々御造営局に足を運んでは主張したという(注7)。このようにして、緞帳(カーテン)や柱隠、壁張、天井飾など室内の様々な部分を日本製の織物で飾ることとなった。実際に関わった業者としては、川島甚兵衛の他に、飯田新七、西村総左衛門、小林綾造などの京都の業者以外にも、東京製織会社、桐生の青木熊太郎などの名前が記されている。それでは、具体的に室内の様子を見てみたい(注8)。まず表宮殿の中心、様々な儀式が執り行われた正殿〔図2〕である。織物の全体の色調は赤みのある紫とし、その文様には主に正倉院や東大寺を典拠とした鳳凰、獅子、菊花、桐、龍などを用い、格天井には東大寺に範を求めた宝相華、蜀葵などを用い、建具には鳳凰や天平桜などの装飾が用いられていた。北壁に南面するように天蓋付の玉座が設置され、「天子南面」が遵守されている。次に、明治宮殿のなかで最大の部屋であり、三大節(元旦、紀元節、天長節)及び地久節の際の饗宴、国賓や臣下との饗宴など、宮中の饗宴がすべて行なわれていた豊明殿〔図3〕。壁面の織物は暗い茶色で統一され、その模様は格天井や建具同様、ほとんどが厳島や春日、高野の鐵仙模様が用いられていた。豊明殿の室内装飾において、正殿にて多用されていた菊花、桐、龍といった装飾は食器以外には存在しておらず、鐵仙や牡丹といった花模様が多く見られる。以上、ごく簡単に明治宮殿の表宮殿の主要な部屋をみてきた。今回触れることのできなかった部屋も含め、主要な部屋は色調や文様がほぼ統一されている。また表向きの部屋や天皇が用いる部屋には、共通して、龍や鳳凰、獅子といった霊獣瑞鳥のモチーフが見られる(注9)。言うまでもなく、これらのモチーフは中国において天子と深い関わりのあるものだ。4神(東の青龍、南の朱雀〈鳳凰〉、西の白虎、北の玄武)や4霊(龍、鳳凰、麒麟、亀)のいずれにも、龍と鳳凰が含まれているだけではなく、龍そのものを天子に見立てるため、また鳳凰も徳の高い君子が天子の位につくと出現するという伝承のため、宮廷の建築や衣装に欠かせないモチーフである。また獅子も百獣王として多くの民族において力や権威、王権などの象徴となっている。その一方で、鐵仙や宝相華、牡丹、菊、唐草、桐といった植物文様も多用されていた。それらは、いずれも吉祥文であり、正倉院宝物や東大寺などに伝わる宝物に範を求めている。その背景には室内装飾の制作を指揮した山高信離が、明治10年代に携わった、社寺宝物調査の成果が反映されているという指摘がある(注10)。平面計画〔図4〕においては、南面する儀式用空間とその前庭、1棟1室の構成、左右対称の回廊など、京都御所と類似する。実際に、明治宮殿の設計過程において、
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