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― 240 ―京都御所の調査に赴いている(注11)。一口に和洋折衷といっても、そこには中国的な要素も含まれ、さらに「和」のなかでも、天平文化と書院造という前近代では共存しえなかった御所と城とが一堂に会した装飾となっている。3、明治宮殿を飾った美術染織明治宮殿では、室内に意匠を凝らした様々な織物を使用しただけではなく、二つの部屋に美術染織が飾られていた。それが、東溜之間〔図5〕に飾られた菊池芳文下絵《百花百鳥図》綴錦〔図6〕と西溜之間〔図7〕に飾られた今尾景年下絵《富士巻狩之図》綴錦〔図8〕である。《百花百鳥図》は、もともと明治38年(1905)にベルギーで開催されたリェージュ万国博覧会で、二代川島甚兵衛によって考案された宮殿室内装飾〔図9〕の一部であった。その後宮内省が買い上げ、明治宮殿の壁面装飾用に仕立てた(注12)。一方、《富士巻狩之図》は、宮内省の依頼により、同じく川島が6年余りの歳月をかけて明治31年(1898)に完成したものである。3.1 菊池芳文下絵《百花百鳥図》綴錦について《百花百鳥図》〔図6〕は、①《桐牡丹に孔雀図》②《桜紫陽花に雉図》③《楓芙蓉に鶏図》④《菊花南天に鴛鴦図》の4面からなる。実際に明治宮殿の壁を飾ったのは②と④の幅の広い2面である。それぞれの画面は、端に描かれたモチーフが次の画面にも描かれ連続した構成となっている。前近代において、同主題の作品が制作された例はあまりなく、類似した主題として《四季花鳥図》といったものがある。《四季花鳥図》は、雪舟以降かなりの数の作品が制作され、その特徴は六曲屏風の両端に大木を描き、右隻から左隻へと季節を順に巡らせるというもので、室町・桃山を通してその構図は定型化されてきた。《百花百鳥図》もその系譜に連なるといえるが、季節が左から右へとゆるやかに流れている点において一線を画す。この特殊な構図は、洋風の室内に飾るための工夫であることが推測される。さらに、詳しく描かれたモチーフを見てみる。①の画面では、菖蒲と雌雄一対の孔雀、雌の孔雀の下には鳩、雄の孔雀は岩の上に乗り、雌の孔雀を見下ろしている。孔雀の周りには、百合や菅草、牡丹が描かれ、また雀といった小禽もつがいで描かれている。雄の孔雀の背後には、桐の木が、その木の下にも牡丹が描かれている。また桐の木の葉の間には、次の②の画面へと続く桜が見える。

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