― 245 ―行っていきたい。注⑴皇室建築と美術染織との関わりについて概観するものとしては、『美術染織の精華─織・染・繍による明治の室内装飾』(宮内庁三の丸尚蔵館、2011)、染織業者という文脈から考察したものとしては、『暮らしと美術と高島屋』(世田谷美術館、2013)や山田由希代「近代京都における絵画と織物工芸との関係─二代川島甚兵衛の企画力をめぐって─」『美学』(55巻3号、2004)などに詳しい。⑵以下、明治宮殿の概要に関しては、主に下記文献を参照した。宮内庁書陵部蔵『皇居御造営誌』全130巻。『明治工業史』工学会、1927。宮内庁編『明治天皇紀』(全12巻)吉川弘文館、1968-1977。⑶『明治工業史』p. 96。本論文では、明治宮殿工事関係者の一人であった中村達太郎が記した『明治工業史』に記述をもとに工事担当者を記した。しかし、近年の調査によると担当者が少しずつ異なっているという(小野木重勝『明治洋風宮廷建築』相模書房、1983および藤岡洋保他「東京都立中央図書館木子文庫所収の明治宮殿設計図書に関する研究」『日本建築学会計画系論文報告集』第431号、日本建築学会、1992.1)。この件に関しては、さらなる調査を要する。⑷『皇居御造営誌・巻之八拾参』明治18年6月8日。⑸『明治工業史』p. 96。家具類や装飾品は、すべてドイツのカール・ローデ商会に発注し、ドイツ滞在中の片山はその設計制作の実地監督を行った。⑹『皇居御造営誌・巻之八拾壱』明治19年7月22日。⑺橋本五雄編『恩輝軒主人小傳』川島甚兵衛、1913、pp. 42-48。⑻明治宮殿表宮殿の室内装飾の詳細については、『幻の室内装飾─明治宮殿の再現を試みる』(宮内庁三の丸尚蔵館、2011)に詳しい。本論文では、こちらとともに、『皇居御造営誌』や『明治工業史』、上野竹次郎『鳳闕』(奉效會、1924)、田中萬逸『皇宮』(大日本皇道奉賛会、1932)などを参照した。⑼表向きの部屋の例としては、御車寄の受付之間、および東車寄階上、正殿など。天皇が用いる部屋の例としては、東化粧之間、正殿、鳳凰之間など。⑽恵美千鶴子「明治宮殿常御殿襖画の考案─正倉院鴨毛屏風模造・平家納経模本の引用と山高信離」『ミュージアム』617号、東京国立博物館、2008。⑾『皇居御造営誌・巻之参』 明治13年11月17日条。⑿『明治天皇紀 巻十一』吉川弘文館、1975、p. 169。明治38年(1905)6月9日付の『明治天皇紀』には、明治天皇が東溜之間に飾られたこの作品を見たことが記されている。⒀鳥や花に込められた寓意に関しては、『吉祥─中国美術にこめられた意味』(東京国立博物館、1998)や宮崎法子『花鳥・山水画を読み解く─中国絵画の意味』(角川書店、2003)を主に参照した。⒁宮崎安章「松岡壽『佛将シウショウ氏摩洛歌人討夷セツ図中 中尉負傷ノ図』修復報告」『修復研究所報告』第15号、修復研究所21、2001。
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