― 252 ―筆者は前稿にて、明恵が十六羅漢中の第五番目、諾矩羅尊者を思慕し、尊者と自己とを重ね合わせ、樹上坐禅像にその様をうつしていることを明らかにした(注6)。釈迦入滅後、仏法護持を担うとされた十六羅漢や、天竺との往還を果たした玄奘などは、明恵が篤く信仰したことが知られている。義湘像にも、こうした明恵自身の信仰に依拠するいくつかのイメージが、混交しながらも描き出されているのではないかと考えられる。ここで、描かれる義湘を虚心に見てみよう。まずは義湘と、唐の女人、善妙との出会いの場面に注目したい〔図4〕。この場面では二人の傍らに太湖石が描かれる。同様の太湖石が、義湘が智儼のもとで仏法を授かる場面にも登場していることを見れば、これは単なる「異国」の表象であるのみならず、この場面が物語中ひときわ特別で、意義深いものであることを示唆していると言えるだろう。善妙は義湘に一目で心惹かれ、想いを告げるが、義湘は「我は仏戒を守りて身命を次にせり」と応える。詞書中のこの台詞は、この絵巻の義湘伝の典拠と見られる『宋高僧伝』にはない。従来、詞書は明恵作とみなされており、柴崎照和氏の指摘するように(注7)、この部分は上人の翻案によって、義湘の戒法遵守の様が明らかにされていると解される。さらに、善妙の横には美しく咲き誇る花々を描くのに対し、義湘の横には高潔さを象徴する松(注8)を配するという、筆者の工夫も見られる。また、画中で義湘がほとんど常に携帯している白払と衣鉢は、どちらも実際、道を行く修行者が持参する道具であり、払子は煩悩を打ち払う法具として説明されることもある。画中には、一人の修行者の求道と持戒の様が具体的に表されているのである。また、絵巻内の義湘は、実に多様な表情を見せる。先述した複数のイメージと、持戒者としての側面も併せ、義湘像は少なからず多義性をはらむ。それは、元暁絵の元暁が終始、理知的、意志的な相貌であらわれる様〔図5〕とは対照的である。元暁絵では、元暁を教団の祖師として顕彰する意識が明白に看取されるのに対し、義湘絵では義湘が単なる祖師としてのみ捉えられているわけではないように思われる。それを踏まえ、義湘絵付随の判釈文に目を向けると、龍となって義湘の渡海を守る善妙の不思議を、「真実の知識」に会って正法に縁を結んだ者の仏法成就と解される旨が述べられていることに気づく。つまり、義湘は、「真実の知識」として認識されていると知られるのである。明恵の事蹟を見れば、高山寺の別院尼寺として善妙寺を建立した前年、貞応元年(1222)に善知識供を始行しており(注9)、上人没後にはその追善供養として、善妙寺の尼僧たちが高山寺の人々と善知識供を修している(注10)。また、建久年間(1190
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