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― 282 ―㉖ ボローニャ、オラトリオ・ディ・サン・コロンバノにおける主題選択について研 究 者:大阪成蹊大学 非常勤講師  宇 埜 直 子本論はオラトリオ・ディ・サン・コロンバノの装飾に関して、これまで議論の中心であった帰属の問題ではなく、ボローニャ大司教アルフォンソ・パレオッティとその助言者であるジョヴァン・フランチェスコ・パレンティが扇動した神秘主義運動との結びつきから主題選択及びそのイコノグラフィについて考察するものである。今回は特に《埋葬》場面と、パレンティの幻視を介してのアルフォンソの独自の聖骸布論との関わりについて論じる。ボローニャ、サン・コロンバノ聖堂に併設されたオラトリオ・ディ・サン・コロンバノの装飾は、17世紀の伝記作家マルヴァジアによってカラッチ・アカデミーの画家たちの「華麗なる競演」(注1)と称された美術史上の重要事業である〔図1〕。1591年から建築家トンマーゾ・マルテッリによってオラトリオを含む増設部分の建設が始められ、オラトリオはマドンナ・デッロラツィオーネ信心会の祈祷所としてその2階に当たる(注2)。つい最近までサン・コロンバノ聖堂は退役軍人協会の本部として劣悪な保存状態のまま非公開であったが、2010年にようやくオラトリオを含むサン・コロンバノ聖堂全体が修復され、楽器美術館として一般公開されるようになった(注3)。オラトリオの長方形の室内はキリスト受難と勝利の物語が長辺に4場面ずつ、短辺に3場面ずつ、やや小さめの祭壇画を除いてフレスコ装飾されている。受難伝は祭壇壁の右部分の《ゲッセマネの祈り》から始まり、右壁《ペテロの悲嘆》、《笞打ち》、《茨の冠》、入口壁《道行》、《磔刑》、《埋葬》まで隣合って展開するが(右壁の第一場面は塗りつぶされている)、その続きである《埋葬》と祭壇画《聖母に現れる復活したキリスト》へは祭壇壁に戻らなくてはならない。次は窓のある左壁の《悪魔を打ちのめす天使》《リンボ下り》《キリストの勝利》へ進むことになるが、この壁面はフレスコの損傷が激しく入口壁に最も近い最後の場面はほとんど判別することができない。この計画に携わったのは、壁に刻まれている碑文(注4)、及びマルヴァジアの記述から、ルドヴィコ・カラッチの弟子たちである。フランチェスコ・アルバーニ、ドメニキーノ、ルーチョ・マッサリ、フランチェスコ・ブリツィオ、ロレンツォ・ガルビエーリ、ガラニーノらが参加したとされるが、各フレスコの帰属についてはいまだ議論が尽きない(注5)。アルバーニは、マルヴァジアが言及した祭壇画と《ペテロの悔悛》のほか《笞打ち》《茨の冠》《キリストの埋葬》の3点のフレスコを手掛け、

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