― 286 ―を置いて2本目の釘で両足を打ちつけた」。そのため片足に2か所の傷口があるとし、使われた釘の数は4本であると言う。著作の扉絵にあるプットーが持つ十字架には縦に並んだ2つの釘の跡がある。しかしこの場合も、改定版ではどの説明も消えている。釘の数は聖骸布からは3本か4本かは明らかにされないとし、「両足首の上に釘の二つの大きな傷が見える。足の裏に穴を穿ち、大量の血が流れた」と簡潔に記している。オラトリオのフレスコにおいて《埋葬》のキリストは右足を投げ出しており、マグダラのマリアが血の流れる裂傷を観者に示すが、傷は1か所である。けれどもここでももう片方の足はその甲を隠すかのように傷の見える足の奥に慎重に配されている(注20)。一方で、反対側の入口壁中央の《磔刑》〔図6〕はちょうど足に釘を打ちつけようとする場面であるが、十字架の足元で待機する少年の手に釘が2本描かれているのは注目すべきである。オラトリオ・ディ・サン・コロンバノのフレスコ装飾において、その主題の選択にはオラツィオーネ信心会の創設者パレンティと大司教アルフォンソ・パレオッティが関係しており、そこに彼らの独自の知見が込められた可能性は十分あるだろう。オラトリオの装飾は、1597年に大司教自身が信心会の規則を正式に承認した後に企画され、1600年の聖年を目指したと考えられるが、その間に大司教が8年間書き続けてようやく出版に漕ぎつけた『聖骸布注解』1598年版が検閲により不本意な削除を被った。そのために彼らにとって重要であった《埋葬》場面でも、決定的な場面を避けた、暗示するようなあいまいな表現にとどめられた。同時にそれはオラトリオの装飾が検閲後に制作されたことを示唆すると考えられる。注⑴ C.C. Malvasia, Le pitture di Bologna, Bologna, 1686, ed. a cura di A. Emiliani, Bologna: AFFA, 1969, p.110/1 [78].⑵ 1576年に創設されたオラツィオーネ信心会は、1399年にリッポ・ディ・ダルマジオが描いた聖母のイメージ(同じヴィア・パリージにあったが何度も奇跡を起こしたため1547年にサン・コロンバノ聖堂の外壁に移された)を崇敬していたので、1583年サン・コロンバノ聖堂の司祭ヴィンチェンツォ・ガルバーニは、それまでサン・ピエトロ司教座聖堂のコンフェッシオに集まっていた同信心会に対して、聖堂に隣接した墓地の区画に礼拝堂を建てる認可を与えた。1591年8月5日、大司教ガブリエーレ・パレオッティ枢機卿によって新しい建物の礎石が置かれ、1592年12月に同枢機卿から信心会に「聖堂の墓地の土地、奥行40ピエーディ、間口26ピエーディ」を占有することを承認した。A. Masini, Bologna perlustrata, Bologna: Benacci, 1666, I, pp. 147, 447-48; M. Fanti “Spigolature dʼarchivio per la storia dellʼarte a Bologna” Il Carrobbio, IV, 1978, pp. 188-9; S. Giordano “La chiesa di San Colombano in Bologna. Notizie sulla storia e sulle decorazioni” Il Carrobbio, XXIII, 1997, pp. 31-43.
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