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― 20 ―⑹佐助ヶ谷遺跡出土の腰刀については、『佐助ヶ谷遺跡発掘調査報告書』(佐助ヶ谷遺跡発掘調査団編・発行、1993年)に網羅されている。また、草戸千軒町遺跡から出土した腰刀は、「中世の刀形刃物─腰刀の変遷をめぐって─」が詳細である(広島県草戸千軒町遺跡調査研究所編『草戸千軒町遺跡発掘調査報告』Ⅴ 広島県教育委員会、1996年、296~314ページ)。⑺東京国立博物館客員研究員金子浩昌氏、同館主任研究員品川欣也氏の御教示による。⑻長谷小路南遺跡発掘調査団編・発行『長谷小路南遺跡』1992年。⑼前注⑵小笠原文献、33~34ページ参照。⑽前注⑵岡田論文、289ページ参照。⑾棟の「上」は「たてまつる」と読むのが適当であろう。⑿「菊造腰刀」解説『日本のかたな』展図録 東京国立博物館、1997年、312ページ。⒀小笠原信夫「刀剣概説」前注⑿文献、16ページ。⒁町田川町教育委員会編・発行『地蔵山遺跡(第3次)発掘調査概報』2001年。⒂高知県文化財団埋蔵文化財センター編・発行『坂本遺跡(《高知県埋蔵文化財センター発掘調査報告書》103)』2008年。⒃京都市埋蔵文化財研究所編・発行『平安京左京八条二坊十五町跡(《京都市埋蔵文化財研究所発掘調査概報》2003-17)』2004年。⒄時枝務・高橋充「信夫山頂遺跡出土品の研究(2)」『福島県立博物館紀要』26 福島県立博物館、2012年、7~20ページ。笄の制作年代に関しては、立正大学教授時枝務氏の御教示を賜った。⒅小笠原信夫氏は、「小柄小刀私考」(『ミュージアム』250 東京国立博物館、1972年、25~34ページ)のなかで、中世の小柄は無紋で簡素なものが鎌倉時代末期に刀装に装着され、次第に装飾を増していき、安土桃山時代に本文で後述する「三所物」となったことを論じられている。⒆川越市教育委員会編・発行『霞ヶ関遺跡(第17・18次)(《川越市埋蔵文化財発掘調査報告書》13)』2002年。⒇なお、本腰刀には「尊氏将軍之御剱」と記された蒔絵箱が付属するが、これは腰刀の刀身(短刀 銘 友成作)の伝来を指すものと考えられる。� 前注⑵岡田論文、290ページ参照。� 丸山伸彦『武家の服飾(《日本の美術》340)』至文堂、1994年、35~55ページ。� 小笠原信夫「打刀拵沿革の概要」『打刀拵』東京国立博物館、1987年、203~230ページ。� 関東における当世具足の形式確立期については、宮崎隆旨『奈良甲冑師の研究』(吉川弘文館、2010年)150~163ページを参照。� 前注�丸山文献、56~71ページを参照。� 後藤徳乗までの三所物は、後世笄を小柄に直すなどして一具としたものが多い。

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