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― 292 ―㉗ 1920−30年代日本における広告デザインの研究研 究 者:京都造形芸術大学 非常勤講師  熊 倉 一 紗はじめに日本における近代的広告デザインは、新聞社後援の海外ポスター展、海外の美術やデザインの動向を伝えるジャーナリズム、あるいはデザイン教育機関の発展などを背景に、1920年代から30年代にかけて勃興しはじめる。その一方で、明治時代からいわゆる「美人画ポスター」の制作も並行して行われ続けていた。この美人画ポスターについては、当時の広告研究者や広告実務者、あるいは図案家たちによって辛辣に批判、否定されていたことが知られている。しかしながら、美人画ポスターは明治末期から昭和初期にいたるまで盛んに制作され広告として使用されていた。ポスターの図案を多く手がけていた多田北烏(1889~1948)は「兎角日本の初期のポスターは広告画と云ふよりも、寧ろ絵ビラ〔美人画ポスターのこと:筆者注〕として扱はれて居た。従つて其処に刷込む店名なども、成可く鑑賞を損ぜぬ様随分苦心をして入れたもので現今の広告学の立場から見れば、色々と問題の起るものだが、併し其の広告効果と云ふ点から見れば今日の成功したと云はれて居る如何なる広告の効果よりも恐らく十数倍の効果を挙げて居つたと云ふ事は何と皮肉な現象だらう」と述べ、広告効果も高かったことが窺えるのである(注1)。当時盛んに制作され、なおかつ広告効果もあった美人画ポスターは、なぜ批判されるに至ったのだろうか。本報告書では美人画ポスター批判の内実を考察することによってその要因を探り、そうすることによってポスターをめぐる近代的な知覚経験がどのように再編されていったのかを明らかにしたい。まず第1章において、美人画ポスターが批判されるに至った経緯を辿り、その発端を紹介する。続く第2章では、美人画ポスター批判の内実を明らかにする。第3章では批判の背景や要因を考察することによって、近代的な知覚経験の再編の様相を明らかにする。第1章 「美人画ポスター」批判の経緯美人画ポスターとは、広義には美人を主題にしたポスター全般を指すが、狭義には、明治末から昭和にかけて隆盛を誇り、精緻な印刷技術─1910年代には平均20度前後、なかには30度以上の描き版を使用したといわれる─によって制作され、豪華な

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