― 293 ―装身具をまとった美人女性を写実的に描いたポスターを指す(注2)。隆盛のきっかけは三越呉服店による一連のポスターである。明治38年(1905)制作の波々伯部金州による秋季売り出し用ポスター〔図1〕は、菊全判(939╳636mm)で石版20度刷りの大掛かりなものだった。当時の記述によれば「其後このポスターの宣伝効果が、理想的だつたか非常な勢で美人画のポスターが使用されるやうになり、ポスターと云へば、美人画を使用しなければ効果がないやうにまで思はれる位になつたのであります」とある(注3)。このように、美人画ポスターの効果のほどが語られる一方で、批判も見受けられる。その嚆矢は大正3年(1914)に遡る。明治大学商学部教授をつとめ、経済誌『実業界』を主宰した井関十二郎(1872~1932)は、湯屋や床屋、飲食店に掲げられている絵ビラ〔美人画ポスターのこと:筆者注〕について「我国に於ける発達及流行と云ふのは殆ど其一小目的たる室内用のものに限定されてゐるのであるから、ポースター本来の目的及特色から云ふと、日本の発達と云ふことは未だ頁の一行をも占むることが出来ないのである」と述べる(注4)。すなわち、ポスターには2種類あり、欧米で流行を極めている屋外のポスターが「ホントのポースター」であって、日本で呉服店などが使用している室内用の絵ビラは劣った亜種というのである。とはいえ、この時点での井関の批判の矛先は、当時の日本のポスターが室内に掲示されていたことに向けられている。批判の対象が具体的に美人を描いていることとなる契機が、大正10年(1921)に朝日新聞社と読売新聞社が開催した「大戦ポスター展」であった。第一次世界大戦における英・米・独・仏の戦時ポスターを約6,000点収集し、5月から11月にかけて31会場を巡回するなど盛況を博した(注5)。この展覧会は、ポスターといえば美人が描かれるものという認識を覆し、政治的宣伝という目的を果たすために、力強い筆致、暗い色彩、簡潔な構成などによって観者に対し積極的に訴求していくポスターの存在を知らしめたのだった。この展覧会の様子は『大戦ポスター集』としてまとめられ刊行される。そのなかで評論家の内田魯庵(1868~1929)は美人画ポスターについて以下のように述べる。一番金を掛けたものは汽船会社や鉄道会社や呉服店や化粧品商のであるが、概して此の頃の女の雑誌の表紙の引伸ばしのやうな浮世絵式の美人画であつて、画家の頭の無いのを証明し過ぎてゐる。数年前、三越の懸賞に当選した橋口五葉の今様美人平岡権八郎の天平美人のポスターも亦此等の類に属してゐるので、無用の煩瑣な粧飾に余計な手数を掛けた外には何等の創意の無いものであつた(注6)。
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