― 294 ―こうして批判の矛先は、美人が描かれていることに向けられ、以後頻繁かつ容赦なく批判されることになるのであった。第2章 「美人画ポスター」批判の内実では、どのように美人画ポスターは批判されていったのか、以下具体的に見ていくことにしたい。その批判のポイントは以下の5つにまとめられる。第一に、図柄と広告する商品の関係のなさである。例えば、神戸高等商業学校にて広告論のゼミを担当していた中川静(1866~1935)は、美人画ポスターは3段階の発展プロセスを示し、その最も未熟な1期が「広告の目的物とは全然没交渉な美人を画いたもので、其のポスターの一部なり額縁なりに、僅に商店名又は取扱品又は取扱科目を記したもの」とする(注7)。また杉浦非水が主宰した「七人社」の機関紙『アフィッシュ』創刊号と第2号では、多数の著名人に美人画ポスターについて広告的効果および芸術的価値があるかどうかアンケートをとっているのだが、識者の1人は「美人画ポスターを見たとて商品や商店に関連がなかつたなら其広告的効果は何にもならないと思ひます」と答えるのである(注8)。第二は、印刷の複雑さとそれに伴う経費の高さが指摘できる。図案家であった田野邨温は、「ポスターとしては、出来るだけ経済的でなければならぬ。昔の美人ポスターの十何度刷りのやうな高価なものでは、一般化することは出来ない。印刷には極手軽に、従つて安価に出来上る事が必要条件である」と述べている(注9)。第三は、モチーフが似通い個性がないことがあげられよう。ライオン歯磨広告部顧問であった中尾清太郎は「美人をポスターに応用する時には、ポスター自身の為めに、其目的に副〔かな〕ふものとしなければならぬ約束がある。[…]呉服には呉服、料理には料理、と各それぞれ其向き〔不〕向きがあるものである。それ丈『暗示』を放射する当の美人にも、それぞれ変化がなければならぬ。各特種の表出がなければならない筈である。所が、日本のポスターにはそれがない。呉服のにでも、化粧品のにでも、酒のにでも皆悉くおんなじ型の美人だ(注10)」という。さらに版画家の織田一磨(1882~1956)は「各商店のポスターが、どれ丈目先と趣向の違った美人画を出してゐるか。みんな大同小異ではないか」と息巻くのである(注11)。第四は、美人画ポスターの制作が注文主主導ということである。先の中尾は「恰もポスターと云ふものは原則として美人画でなければならないかのやうに限られてゐる。それは世間の要求でもあり、図案注文者の希望でもあり、旁図案者の無駄を倹約し、それらの意向に投じようとする甚だ不忠実な考から、日本目下のポスターは全く
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