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― 295 ―「美人の絵ビラ」と定まつてしまつた[…]」と慨嘆する(注12)。多田北烏は、日本では掲出料を支払わないことが「美人画ポスター」が効果のある理由という。ポスター唯一の掲示場が小売店の店頭であり、そこには多数のポスターが配布されてくる。狭い店頭にすべて掛けるわけにもいかず、必然的に選択しなければならない。店主の好みに合わないものは選ばれないというわけである。したがって「大衆に目標を置くポスターであり乍ら製作に当り先づ第一に「掛けて貰へる」と云ふ事を必要条件として考へねばならない日本の現在からは、立派なポスターが産れ難に筈だ」と言い切るのであった(注13)。第五に、それと関連してポスター制作者の専門家意識の低さおよび鑑賞性があげられる。例えば、「商業美術家協会」の設立に尽力し、その実質主宰者であった濱田増治(1892~1938)は、美人画ポスターの制作者を語るなかで次のように述べる。実用画即ちポスター等の作画に従ふ方面では要するに、これを一種の職人的画道視して眼を高処に置かず、たゞ注文する人々の命のまゝに或場合には奴隷的に、ある場合には余技的に扱ひ来つた結果、其作品の価値は低調をまぬがれなかつた点が多い(注14)。職人としての仕事と割り切り、注文主の命ずるままに、あるいは画家の余技として制作していたからこそ作品の価値が低いという。濱田は他にも以下のように主張する。商業美術が単に商業に役にたつから利用するといふ程度の今迄の範囲に終るものならそれは社会の依然とした認識の中で黙々として仕事をして居ればよい。そして需要家の必要とするまゝに需要家の御意の侭に其処に美術を供給すればいゝので、その美術家は純正美術家であつても、かけ出しの画学生であつても、少しく器用な素人であつても、何かしら絵さへ描ければいゝといふ程度の商業美術で済まされるが、今云ふ事情によつて、商業美術は格段の相違を来さねばならぬのである。即ち目的の美術としての立場が高唱される。[…]今日迄の日本の商業美術では、こゝ迄の考へは行はれてゐない。[…]この巌とした目的の美術迄が、一種の災を受けて、美術をたゞ商業に応用してゐるといふ程度に止まつてゐる。[…]ポスターを洋画の大家に依頼して得々としてゐる会社があり、商品は何であつても、何でも美人を描きさへすれば効果があると考へてゐる商人があり

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