― 297 ―用ポスター図案集」においても単化図案の見本が掲載される。とはいえ、『アフィッシュ』には、色数が抑えられ、形態も抽象化されていながら、必ずしも幾何学的とはいえないものが見受けられる〔図3〕。いうなれば、七人社同人の作品はそれぞれ個性的なのである。また『現代商業美術全集』においても〔図4〕のように立体的でありながら単化とされているものがあり、他に「ユーモアと芸術味のあるポスター」、「動きがあって印象的なポスター」、「力強い印象を与へる表現」など多種多様の図案が掲載されている。こうした個性的かつ多彩なポスター図案は、美人画ポスターが非個性的と批判されたことと表裏の関係にあるのだろう。このように具体的な作例が明示されつつモダニズム・ポスターは称揚され、反対に美人画ポスターは批判されていくのであった。第3章 批判の背景と要因では、なぜ美人画ポスターが批判され、モダニズム・ポスターは称揚されていったのか。次にその背景を具体的に探っていくことにしたい。美人画ポスターが批判されモダニズム・ポスターが称揚されていた1920年代から30年代といえば、日本における近代消費社会の成立期と重なる。20世紀初頭以降の日本における小売業態の変遷を、日本の消費社会の変容と関連づけて考察した平野隆氏は、1920年代から30年代に消費社会が成立した指標として以下の3点をあげる(注22)。まず一つが、新中間層への社会的注目である。新中間層が都市下層および工場労働者と明確に異なる生活構造を形成しはじめたのは1910年代末から20年代はじめにかけてとされ、日本における新中間層の人口は、1920年の時点で約107万人(東京は20万人)、全就業者の4%(東京では13%)に相当する。二つ目は、都市への人口集中である。全人口に対する都市地域(人口2万人以上の地域)の人口比率は、1920年には23%、30年に32%、40年に42%に達し、人口10万人以上の大都市の数は1920年には16だったのが30年に32とちょうど倍増している。そして三つ目が日本国民1人当たりの実質GDPの上昇である。例えば、1900年では同年のイギリス、アメリカのGDPに対してそれぞれ26%および29%であったのが、1920年には37%、31%、1940年には42%、41%になるという。この水準は英米の19世紀中頃に相当するようである。このように、1920年代から30年代にかけて、商工業の活発化、産業構造の変容、都市化の進行などによって市場が拡大し、さらに新中間層の登場により新しい需要を喚起する必要に迫られていたのである。そのためには観者に対し、合理的かつ科学的に訴求するモダニズム・ポスターが相応しかったといえよう。
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