― 305 ―め、確定はできない。ただ、『文化史懇談会』から判明する月例研究会の発表者や、同誌の記事執筆者などから、会に関与した人物をあげることはできる。美術史学者は多くの人物がいたが、前掲の田中一松、吉沢忠、鈴木進、熊谷宣夫、秋山光和、伊藤延男、藤田経世のほか、蓮実重康、宮川寅雄、富永惣一、本間順治、河北倫明、米沢嘉圃などがいた。歴史学者では、色川大吉、遠山茂樹、川崎庸之、井上光貞、大久保利謙、石母田正、家永三郎、本間長世らの名前が確認できる。なおこのうち、吉沢、藤田、宮川、色川、遠山らは、後述の日本近代史研究会や、個々の政治的立場を通じても、近い関係にあった人物たちである。同時に彼らは文化史懇談会でも、役員や『文化史懇談会』の編集発行人を務めるなど、主軸的な役割を果たしていた。しかしこれらの人物から、文化史懇談会に政治的な性格を指摘するのは、慎重であるべきだろう。文化史懇談会には、他の背景をもつ人物も多く関わっているからである。むしろ、50年代の日本の複雑な政治性こそが、これらの人物構成に表われているといえるだろう。(2)文化史懇談会の活動それでは文化史懇談会が行なっていた学術上の活動は、具体的にはどのようなものだったのか。以下では『文化史懇談会』から確認できる同会の活動を、第1に月例研究会、第2に歴史学系の学会・研究会との連帯、第3に図書出版、第4に『文化史懇談会』の刊行という、4つの項目ごとにみていきたい。・活動1─月例研究会まず第1にあげるのは、月例研究会の開催である。『文化史懇談会』には、毎号のように、月例研究会の発表要旨と、発表についての討論の内容、翌月の研究会予告が掲載されている。これらからは、少なくとも『文化史懇談会』の刊行が始まった52年以降、文化史懇談会がほぼ毎月、欠かさずに研究会を開催していたことがうかがえる。さらに『文化史懇談会』の開催予告記事からは、月例研究会が、東洋文化研究所、本郷の学士会館、東京国立博物館、京橋の国立近代美術館などで行なわれていたことが確認できる。これらの機関で会合を開催するのに相応しい学術的水準をもつ組織として、文化史懇談会が学界で認知されていた様子も推測できる。なお、こうした月ごとの研究会のほかに、文化史懇談会は毎年の年末に、総会も行なっていた。『文化史懇談会』の記事からは、1955年、57年、59年の総会開催を確認できる(注8)。場所はいずれも如水会館で、同時に忘年会も行なわれ、55年はさらに、
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