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― 307 ―史書だった。また同書は、文化史懇談会での研究討論をもとに執筆され、刊行後には同会で合評会も行なわれたという(注11)。さらに56年以降は、文化史懇談会編『日本美術史叢書』の出版が、東京大学出版会から始まった。同叢書は66年までに、薬師寺、弘仁・貞観時代の美術、信貴山縁起絵巻、書院造、雪舟等楊、渡辺崋山、岡倉天心などの各巻を発刊した。この叢書について、とりわけ次の2点に注目したい。第1に、これらの巻がいずれも、日本美術史上のマイルストーンとなるような重要テーマに関しての、まとまった総論となっていたことである。そして第2は、これらの各巻の執筆のために、文化史懇談会内で、美術史学者と歴史学者の共同研究会が、周到に積み重ねられていたことである。たとえば、藤田経世と秋山光和が著者となった信貴山縁起絵巻の巻では、刊行前に約1年にわたり、文化史懇談会で15回の研究会が繰り返され、中村義雄、鈴木敬三、杉山博、家永三郎、井上光貞、宮本常一、武者小路穣、大串純夫、田中一松、熊谷宣夫、米沢嘉圃、福山敏男、石母田正らが研究発表を行なったという(注12)。ほかにも岡倉天心の巻では、小高根太郎、遠山茂樹、吉沢忠、宮川寅雄が発表を行ない、計4回の討論会が行なわれたとされる(注13)。いずれも、美術史学者のみならず、歴史学者を巻き込んだ研究会が重ねられ、そうした十分な準備のうえで、叢書の発刊が行なわれていたことがわかるだろう。・活動4─『文化史懇談会』の発刊最後に第4としてあげるのは、『文化史懇談会』の刊行である。前述のように同誌には、研究会の発表要旨や、研究者たちのエッセイが掲載されていた。これらは、厳格な学会での発表や学術論文ではないためか、専門的な内容とはいえ、中途段階の発想やアイデアを、自由に論じたものも多い。そうした発想やアイデアは、会の他の研究者たちにとっても、研究上の刺激や参考になっただろう。『文化史懇談会』にはこのように、学術上のアイデアを共有する機能もあったと思われる。エッセイでは、たとえば1959年の辻惟雄による「新入会員の感想」が典型的な事例である。これは当時20代後半だった辻が、文化史懇談会に新しく入会するにあたり、他の会員に自分の研究を自己紹介するために、執筆した論説と思われる。その論中には、次のような箇所がある。日本の美術の伝統については「縄文的」「弥生的」という対立概念や「デモーニッシュ」という呪文を観念的にふりかざしていたのではだめでしょうが、とにかく

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