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― 309 ―深めていこうとする、史学化志向が生起していた。文化史懇談会が歴史学と連帯しつつ活動した背景には、こうした史学化志向があったと考えられる。おわりに以上から明らかになる本稿の結論は次のとおりである。文化史懇談会が美術史学史上に果たした意義とは、戦後日本の美術史学を支えた主要研究者たちが、戦後初期の50年代に、30年代からの史学化志向の流れを受けて、学際的な知見の着実な積み重ねに立脚し、日本美術史のマイルストーンとなる重要テーマについて、総論的な成果をまとめたことだった。60年代以降に達成された美術史学固有の造形研究や、各論研究の精細化、独自の発想は、学際性に基づくこうした総論的な基盤があったからこそ、成立し得たとも考えられる。注⑴太田智己「1930~50年代の美術史学と歴史学」、松澤裕作編『近代日本のヒストリオグラフィー』(史学会シンポジウム叢書)所収、山川出版社、2015年。太田智己「1910~50年代日本における美術史学の展開─学術インフラ、学問的アイデンティティ、研究費受給体制─」『カリスタ』第18号、2011年。⑵東京文化財研究所が所蔵する田中一松資料中に、『文化史懇談会』の第1号から第43号までが含まれている。ただし欠号もある。他の研究機関では、これより後の号の所蔵は見当たらなかった。⑶「会員紹介その (1) 田中一松会長のこと」『文化史懇談会』第32号、1955年、10頁。⑷川崎庸之「懇談会の生いたち」『文化史懇談会』第1号、1952年、1頁。⑸「あとがき」『文化史懇談会』第9号、1952年、4頁。⑹「事務局ニュース」『文化史懇談会』第28号、1955年、10頁。⑺注⑶前掲記事。⑻「定例総会・田中先生還暦祝賀会・忘年会次第」『文化史懇談会』第32号、1955年、10頁。「懇談会便り」『文化史懇談会』第36号、1957年、8頁。「事務局ニュース」『文化史懇談会』第43号、1959年、6頁。⑼歴研委員会「歴研大会 民族の文化について」『文化史懇談会』第3号、1952年、4頁。⑽網野真智子「運動会・野球観戦記」『文化史懇談会』第32号、1955年、9頁。⑾伊藤延男「討論会から 日本の美術・合評会報告」『文化史懇談会』第4号、1952年、3頁。⑿藤田経世・秋山光和「あとがき」、藤田経世・秋山光和『信貴山縁起絵巻』所収、東京大学出版会、1957年、273頁。⒀宮川寅雄「あとがき」、宮川寅雄『岡倉天心』所収、東京大学出版会、1956年、260頁。⒁辻惟雄「新入会員の感想」『文化史懇談会』第43号、1959年、5~6頁。⒂注⑴前掲論文。本研究での資料の調査にあたり、東京文化財研究所からご高配を賜わりました。心からお礼を申し上げます。

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