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― 313 ―紀後半の王室発願仏画に初発的にみられることが判断できる。次章では、明初の作例にあらわれる特徴を検討し、また朝鮮王朝初期になって構築された明と朝鮮王朝との宮廷間における直接的な人的ネットワークを確認する。2.明時代の作例にあらわれるチベット的要素高麗は1275年より元の統治下とされたため、チベット仏教を国教とした元とのつながりから、高麗仏画にもチベット的な表現が盛行したという仮定ができる。しかしながら、残っている160点ほどの高麗仏画において如来の尊名にかかわらずチベット仏画に通じた特色を確認することはできない。元統治下において、高麗に部分的にチベット仏教式の仏像や仏画などが入った可能性はあるが、管見のかぎりこういう様式が高麗の仏画に大きな影響力をもったとは簡単には言えない状況である。以上の前提を踏まえ、朝鮮前期の仏画にみられる新しい要素は、元あるいは高麗をルーツとするものではなく、朝鮮王朝と明との交渉から生じたものとする観点から考察を進めていくことにする。明は、仏教政策において建国の初期からチベット僧を積極的に登用したことが知られており(注8)、明代の造像においてもチベット的要素は多数の作例で見られる。永楽北蔵の経典を飾る巻頭の変相図に倣った《紺紙金字大般若経変相図》(1430・宣徳5年、福井・永平寺)、さらに正統5年(1440)に刊行された《紙本版画仏説阿弥陀経変相図》(韓国・個人)など数多く確認でき、明代の一つの様式であったといえる。特に注目したい作例として、成化13年(1477)の年記をもつ明の皇室周辺で制作された《薬師三尊十二神将図》〔図4〕(Jordan Schnitzer Museum of Art)は、本図と制作年代が同じであり、さらに薬師三尊十二神将をあらわす同じ主題であることから比較できる好例である。この作例には、「秘殿珠林」、「乾隆御覧之寶」、「乾隆鑑賞」、「三希堂精鑑璽」、「宣子孫」という5つの印章があり、清の宮廷コレクションであったことがわかる。本図と比較してみると、構図が通じているほか、五色雲が表現されるなど、二つ作例の類似性をみてとることができる。しかしより詳しくみると、色調や如来の身体の表現が少し異なっている。明の作例に画かれた如来は、チベット仏教要素が看取されるものの、明における様式化が進んでいることが確認できる。本図が、制作年の明らかな朝鮮前期仏画のなかで、チベット仏教的特徴をしめすもっとも古い作例であることを勘案すると、明の作例は、いわゆる中国における様式化が進んだ作例である。このような図像の受容における時間の隔たりや表現における違いを念頭におきながら、 経典や版本などの広く流布しうる媒体をとおして、明から朝鮮王朝まで流

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