― 316 ―に1460代から90年代の間に顕著なこの変化は、本図の願主である明淑公主の母である昭恵王后を中心とする王室人物と明宮廷との密接な関係のなかで、明からもたらされた文物を忠実に参照した結果であることを確認した。15世紀仏画として新しい規範が採用された本図の存在は、王室周辺で制作された仏画の様相を示しており、続く時代の仏画の規範として大きな手がかりになると思う。15世紀の仏画は、現存数はわずかであるが、朝鮮前期のまさに仏教文化の最盛期における仏画として位置づけることが可能であることを確認し今後研究が進むことを期待したい。注⑴ 朝鮮王朝時代の時代区分は、1392年の建国から日韓併合の1910年にわたる時期を、前・後期、あるいは前・中・後期、初・中・後・末期とするなど多くの見解がある。「朝鮮前期」及び「朝鮮後期」という本稿の呼称は、豊臣秀吉による1592年の文禄の役を境として前後に分ける見解にしたがっている。⑵ 朝鮮前期仏画にみられる四天王像の配置と持物の変化に関しては、李承禧「高麗末・朝鮮初四天王図像研究」『美術史研究』22号、韓国美術史研究会、2008年、朴銀卿・韓政鎬「四天王像の配置形式における変化原理と朝鮮時代の四天王の名称」『美術研究』409号、国立文化財機構東京文化財研究所、2013年が詳しい。⑶ 専論はないが、So Young LEE, Art of the Korean Renaissance, 1400-1600, Metropolitan Museum of Art, 2009に作品解説がある。⑷ 《薬師仏会図》の画記は以下の通り。 「成化十三年丁酉明淑公主/駙馬洪常上祝/聖下及己身画成弥陀會彝・/藥師會彝熾盛光會/彝千手觀音倚岩觀音凡五幀夫□/一切一佛固有萬徳威神□□/多佛求而之者何也以其□/灾殃於當世慕浄土之無□/當疾病而神藥即八難而□□/畏願以此事彝報/上恩發意圓成立願廣大/投誠之感即周切/神功白報應如谷響教中□□/聚沙画像功不浪施を況/福莊厳相好厳特者也。」⑸ 本図と制作の近い成化19年(1483)作《三帝釈像》(福井・永平寺)の画記にも類似の文字が確認でき、その可能性は高いと思われる。《三帝釈像》の発願文を考察した論文として、拙稿“A Study of the Three Indras Painting Dated Cheng-hua 19 (1483): On the Circumstances of Its Execution during the Reign of Songjong of the Joseon Dynasty” Transactions of the International Conference of Eastern Studies No.LVII, The Institute of Eastern Culture2013.1.及び「朝鮮王朝成宗代における王室周辺仏事の一側面 ─《三帝釈像》(福井・永平寺)を中心に─」『デアルテ』30号、九州藝術学会、2014年を参照されたい。⑹ 当時宮廷のそば蔵義洞火薬庫あたりには、仏事を執り行う場所である「内仏堂」があり、本図を掛けた儀礼が設けられた可能性は高い。⑺ 『成宗実録』巻78、在位8年(1477) 3月5日条を参照。⑻ 明時代の仏教の様相についての詳述は紙面の都合上割愛するが、野口善敬「元明の仏教」『中国文化としての仏教 新アジア仏教史』 中国Ⅲ 宋元明清、佼成出版社、2010年を参照。⑼ 昭恵王后については『璿源系譜記略(璿源録)』 韓国国立古宮博物館、粛宗7年(1681)を参
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