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― 24 ―③高橋源吉研究研 究 者:山形大学 地域教育文化学部 教授  小 林 俊 介共同研究者:絵画保存修復家  大 場 詩野子1.源吉作品の特徴:近代以前の絵画への親近性と明るく平明な表現高橋[柳]源吉は父・由一の協力者であり、本邦初の本格的な洋画団体である明治美術会の創立会員として、また『高橋由一履歴』の編者として、明治前期の洋画界において中心的な活動を行っている。しかし、その業績についてこれまで明確な位置づけはなされてこなかった。源吉が注目されてこなかった理由として、多くの業績を残した由一の影にその活動が隠れがちであったことがある。例えば、近年の調査では、《西周像》(明治26年)、津和野町郷土館蔵)など従来由一作とされてきた明治20年代の作品の幾つかは、実際には源吉の助力、もしくは主導による制作であった可能性が示唆されている(注1)。また、明治35年(1902)の明治美術会解散後、「放浪生活に移って[中略]中央画壇にはとんと消息を絶つた」(注2)ことも源吉の印象を薄くしている一因だといえるだろう。しかしながら、もっとも根本的な要因は源吉の作品のスタイルとそれを評価する我々の基準にあると考えられる。源吉の作品は父・由一と同様、光による空間の統一的表現という西洋的な写実表現の原則からしばしば逸脱し、平板な表現に陥っているようにみえる。このことが、西洋的写実の受容という観点から書かれた近代日本美術史の通史において源吉の作品が看過されてきた大きな要因である。一例として、源吉作の《大石田風景》(仮題)(明治44年頃、個人蔵)(注3)〔図1〕を見てみよう。この作品は、河合新蔵作の《村落首夏》とほぼ同じ対象を描いており〔図2〕、構図は「道路山水」(注4)様式を用いた線遠近法的空間構成に則っている。しかしながら光の方向に関しては不明確で、屋根や樹木の明暗表現から辛うじて逆光気味かと判断できる程度である〔図3〕。個々の物体は遠近に関係なくおおむね平均的に描き起こされているため、道路山水的な構成にも関わらず画面を平板にみせている。もっとも、雲の明部は白色が厚塗りされ、動的な雲の表現が画面に変化を与えている。この作品を、同じ工部美術学校でフォンタネージに学んだ小山正太郎(1857-1916)の《仙台の桜》(明治14年、新潟県立近代美術館蔵)〔図4〕と比較すると、《仙台の桜》では「道路山水」的な線遠近法的空間構成と逆光による明暗描写が矛盾なく統一され

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