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― 331 ―㉛ 浮世絵における「子ども絵」の形成過程の研究研 究 者:学習院大学大学院 人文科学研究科 博士後期課程  伊 藤 千 尋はじめに江戸時代中期から明治時代にかけて大量に制作された浮世絵には、子どもの姿を主題化した作品が多数見受けられ、それらは一般的に「子ども絵」(注1)と称される。浮世絵の初期版画である墨摺絵や紅絵・漆絵などの中にはほとんど見当たらず、宝暦期(1751~64)以降の紅摺絵や錦絵に散見されるようになっていく。初期の子ども絵の中には、狩野派らの描く、遊ぶ唐子の図像との繋がりを感じさせる「漢」(注2)の要素を持つものや、それとは別に、日本の月次風俗を描いた絵本を図様の典拠にした「和」の要素を持つものが数多く含まれており、ジャンル定着との関わりを示唆している。本稿では、それらに注目し、これまで体系的に語られることの多くなかった、初期の子ども絵がどのような図様に影響を受け制作されたのかについて、「和」と「漢」という2つの事象から検討し、浮世絵の一つのジャンルとして定着していった過程を明らかにしていきたい。第1章 「漢」からの影響─唐子図と子ども絵の繋がり─子ども絵誕生の美術史的背景には、「唐子」、つまり中国風の衣裳を身に纏い頭頂部や左右に毛の一部を残した子どもたちの図像からの影響があると言われているが(注3)、本章ではまず、そうした「漢」からの影響について改めて見直してみたい。唐子はそもそも、近世以降の日本美術の中に多数見出すことができ、とりわけ狩野派の絵師は、漢画系主題の添景としてばかりでなく、その遊び戯れる姿を「唐子遊図」という一つの画題として屏風や絵巻などに盛んに描いてきた。他にも陶磁器や工芸品のデザインとなるなど、唐子図様はあらゆる媒体に取り入れられた。さらに江戸初期には、日本の家庭に腹掛・唐子髷というスタイルが受け入れられ、実際の子どもたちのファッションとしても定着していった。こうした17世紀から18世紀にかけての唐子愛好の広がりは、子どもを主題として描きそれらを愛でるという近世以前にはなかった感覚を醸成していき、浮世絵における子ども絵の誕生にも繋がっていったと言うことができる。実際に、宝暦から寛政期(1751~1801)頃の初期の子ども絵を見ると、中国から日本に入って来た唐子図像をアレンジして版画にしたと思われるものや〔図1-1~2〕、先学によって指摘されているように、橘守国(1679~1748)が公刊した狩野派の絵手本、『絵本直指宝』(1745年刊)に出てくる唐子図像を典拠としたものが複

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