― 334 ―びも複数挟まれ構成されている。また、「東童」という書名からも分かるように、本書には大伝馬町天王祭、両国花火、神田明神祭などの江戸の行事も含まれている。これら2種類の絵本に収録された子どもたちの姿態描写は実に様々であり、子ども図像の宝庫であることが確認できる。そのため、江戸の浮世絵師たちに大いに影響を与え、遊びや季節の行事などを題材とした子ども絵をたくさん誕生させることになった。例えば、『絵本西川東童』の芝居を真似て遊ぶ場面〔図4〕は、最も多くの絵師によって応用されている。まず鈴木春信の「当世童栄花遊 其五」〔図5〕は、絵本の斜め構図をそのままに、草紙を鎧に見立て草摺引の芝居の真似をする子どもたちをクローズアップさせ、図様を反転させている。子どもが手に持つ箒や傍らにいる拍子木を持つ子どもは、絵本右頁から着想を得ていることが分かる。石川豊雅の「風流十二月 五月」〔図6〕は、奥に縁側を据え、似たような空間構造のもと、向かい合い芝居をする2人、音を鳴らす子ども、長いものを持つ子どもを対応させ、基本的には人物の向きをそれぞれ反転させている。また、北尾重政の「子供の芝居ごっこ」の場合は、姿態や髪型、着物の文様まで忠実に再現したうえで、天神机を二段に重ねたり、祐信絵本では襖となっている箇所を障子に変えたりして、そこから顔を出す子どもたちを3人描き足している。そして、鳥居清長は、幕の前で芝居遊びをする場面を、「戯童十二月」「幼童云此奴日本 九」の2パターンにまでイメージを展開させているのである。この他にも、宝暦期に鳥居派の絵師によって制作された『寺子短歌』(注6)という絵本に、この芝居遊びの図様が用いられており、祐信図様が広く流布していたことを窺わせる。絵師たちは、そっくりそのまま図様を抜き出す場合や、組み合わせたり反転させたりする場合、そして着想を求めただけの場合など、借用の度合いを巧みに操作しながら、同一の図様を典拠としつつもバラエティに富んだ作品を制作していることが分かる。こうした子ども絵と絵本間における図様の貸借関係を体系的にまとめたものが、〔西川祐信絵本に影響を受けた子ども絵作品一覧〕(以下、〔一覧〕)である(注7)。この〔一覧〕からは、図様を絵本から借用する傾向が明和から寛政期(1764~1801)頃に集中しているということが分かる。この明和から寛政頃というのは、四季景物に題材をとった子ども主題の揃物が制作されるようになり、子ども絵が浮世絵の一つのジャンルとして定着を始めた時期とされている。このことから、子ども絵がジャンルとして定着・発展していく過程において、祐信絵本の存在が大きな役割を果たしていたであろうことが推測される。中でも、清長の揃物「戯童十二気候」、「戯童十二候」、「戯童十二月」、「子宝五節遊」をよく見ると、興味深いことに、このすべての季節を題材
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