― 336 ―描写である。「子ども」と「雪遊び」という組み合わせで描かれるとき、必ずと言って良いほど、雪を転がしている子どもたちのそばに、手に息を吹きかけ温めている子どもが配される。その図様の起源は判然としないが、古いものには、ボストン美術館所蔵の狩野山雪「十雪図屏風」(17世紀前半)があり、小さく唐子姿で描かれる。検討の余地は残るが、この図様は狩野派によって代々描き継がれたものであったようで、前述の2種の祐信絵本を経て、子ども絵に広まっていった感がある(注9)。春信、重政、清長、歌麿はもちろんのこと、後の菊川英山、渓斎英泉、歌川国芳、国虎、貞虎、楊洲周延といった絵師の同画題の作品を見ても、やはり必ず、雪の冷たさでかじかんだ手を温める子どもを描いているのである〔図8-1~3〕。この図様は唐風俗となったり、日本風俗となったりと和漢における子どもイメージの往還が顕著に見られ、幕末ひいては明治時代まで繰り返し描かれていき、雪遊びにつきものの自然な子どもイメージの一つの型として広がっていった。このように初期から後代の子ども絵を見渡してみると、子ども絵ジャンルの形成過程において、いかに祐信絵本の貢献度が大きいものであったかが窺えるのである。おわりにここまで、初期の子ども絵がどのような図様に影響を受け制作されていたのかについて見てきたが、浮世絵師たちの制作動機には、唐子図や四季風俗絵本に登場する子どもイメージの存在があり、そうした「和」「漢」による複合的な影響下に子ども絵の基礎が形成されていったと言える。浮世絵の草創期に盛んに描かれていた狩野派らの遊ぶ唐子の図像は、浮世絵師たちを唐風俗またはその流れを引く日本風俗の子どもの絵画化へと向かわせ、それと並行するように、同じ頃に流布していた日本の子ども図像を集めた祐信絵本もまた、浮世絵師たちを季節の歳事や遊びを題材とした子ども絵の制作へと向かわせた。その結果多彩な作品が生まれ、ジャンルの基礎が形作られることになったと言える。総じてみると、量的には初期の子ども絵は、唐子図よりも祐信絵本からの影響を多分に受けていたと言うことができるかもしれない。今回は、祐信の子ども図像を唐子図とは別の文脈に置いて考察したが、今後は本研究を受け、祐信の子どもイメージのルーツや、初期の子ども絵に見えるこの「和」「漢」の2つの流れが、後の子ども絵にどのように繋がっていくのかについて、検討していきたい。注⑴「子ども絵」は、『浮世絵大事典』(東京堂出版、2008年、202頁)に「大人は描かれていないか、
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