tsuto
35/639

― 25 ―ている。彩色は空の明部に白色が多く使われ、逆光で暗部となっている木の幹や枝と地面は、輪郭部のハイライトを除き、透明感のある暗褐色の薄塗りが施されている〔図5〕。“明部は白を多用した厚塗り・暗部は薄塗り”という古典的な油彩画法の原則に則っているのである。また、本多錦吉郎(1850-1921)の《景色》(明治31年、府中市美術館蔵)〔図6〕も、並木道を「道路山水」的な構図で描き、欅の幹の明暗描写は画面全体の光の方向と矛盾なく統合されている〔図7〕。小山の《仙台の桜》も本多の《景色》も、明部を厚塗りし暗部は薄塗りすること、遠景では色や形態の強度を漸減することなど、着彩の配慮が遠近法的な空間と連動しており、本多訳の「油絵山水訣」(明治23年(1890))(注5)など当時の代表的な技法書にもみられる西洋の写実的風景表現の原則が生かされているといえる。加えて両作品ともに、仙台の名所である榴ヶ岡公園の桜や、大國魂神社に続く街道沿いの欅並木など地域の名所を描きつつも、むしろ近代的な“匿名の風景”を指向しているという点でも、評価されているのであろう。それでは、源吉作品の特徴であり長所とはなんだろうか。それは、小山、本多、浅井忠(1856-1907)など従来評価されてきた同時代の作品に見られるような、遠近法的な構成や光と空間の統一的表現ではなくて、複数の事物(視点)が組み合わされた構想的で名勝図的な風景画を、その画業において指向したことだといえるだろう。例えば《天てんぐいわ華岩》(山寺芭蕉記念館蔵)〔図8〕は、画面左半分に山寺立石寺の名勝である天華岩を、画面右半分に山並み(二口峠)と集落(馬形地区)を配しているが、実景では、二口峠と天華岩は同時に視野には入らない。源吉は山寺地区において重要な、旧来、仙台との交通の要所であった二口峠に至る街道と「天華岩」とを同時に横長の画面に収めることで、山寺の歴史的アイデンティティを物語る名勝図を構想したのである(注6)。構図や色彩表現をみると、岩の量塊が左側に寄せられ、右半分の中景・遠景は淡く余白的に表現されている。この構成は馬遠や夏珪らの山水画にみる、いわゆる「辺角の景」を思わせる。明るい空は薄く塗られ、「明部は厚塗り」という西洋の古典的な油彩画の原則に反しており、山裾にいくに従い薄くぼかされた山並みの表現は、在来の日本絵画にむしろ近い。一方、天華岩の岩肌はやや厚塗りで、光の方向は定まらず、油絵具を明暗表現より質感表現に用いた由一との親近性が見出される。《立谷川 対面石》(将棋むら 天童タワー蔵、明治44年)〔図9〕もまた、近代山寺の名勝図である。横長の画面の右三分の一に「対面石」を寄せて空と川(立谷川)を大きくとった構図はやはり南宋山水画的である。画面中程には現地では特徴的な視

元のページ  ../index.html#35

このブックを見る