― 345 ―「第三の心」展を企画したアレクサンドラ・モンローは、シャーマン・リーがアメリカの美術館等にアジア美術コレクションを充実させたことは、「アジア文化を、基本的に前近代的で、静的で、温和なものとして呈示することによって、アジアのファシズムと冷戦下の共産主義の脅威を阻止することに資するものだった」と述べている(注33)。しかしこれまで論じてきたとおり、日本美術に関しては、リーはその反対に、「動的」で「力強い」点にこそ、その特徴を認めていた。対共政策の砦としての日本に対しては、その美術を中国と差別化させることが重要だったのではないだろうか。後年リーは、自身の仕事について、収集、展示、調査・研究に加え、大衆への教育普及を重視したと語っている(注34)。またリーは1963年からロックフェラー三世の東洋美術コレクションのアドバイザーをつとめたが、その際、研究者だけでなく、一般の人々にも楽しめるようなコレクションを目指していたという(注35)。ロックフェラー三世は、1952年にアメリカの日本協会(Japan Society)の会長に就任するなど、戦後の日米文化交流に尽力した人物であり、反共政策の一環として、日本美術をアメリカに紹介し、アメリカにおける日本イメージの向上につとめた(注36)。その三世が、自身のコレクションの顧問を依頼したのがリーであった。コレクションが、三世自身によって1956年に設立されたアジア協会(Asia Society)に帰属することを前提に形成されたことを考えれば(注37)、リーの日本美術観が、三世を通じて広くアメリカ大衆の日本美術イメージ形成に寄与したことになるだろう(注38)。シャーマン・リーの日本美術観は、フェノロサや天心の言説に依拠せず、また当時の前衛芸術家たちの禅や水墨美術への関心にも左右されず、あくまで日本美術の固有性を重視し、それを大衆に普及することに徹したものであったと言える。アメリカ巡回古美術展に際し、ロックフェラー三世の助成により、日本協会は来場者にアンケートをおこなっている。それによれば、「ほとんどの日本文化は、他国からの借り物である」という言説に対して、展覧会を見る前では31%の人が賛成したが、見た後では22%に減じていたという(注39)。展覧会を訪れたアメリカ人たちに、リーの意図はある程度通じたようである。注⑴『近代画説』第23号(2014年12月)では、特集として「占領期の美術展と展示空間」が組まれ、以下の論考が発表されている。五十殿利治「特集解題「占領期の美術展と展示空間」について」、桑原規子「駐留軍施設における美術展示空間─アーニー・パイル劇場と陸軍教育センター」、大谷省吾「北荘画廊をめぐって─戦前と戦後をむすぶ場所」、拙論「一九四九年の雪舟計画」、弘中智子「末松正樹と占領下のフランス、そして日本」。
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