― 348 ―㉝ クェンティン・マセイス《両替商とその妻》─作品解釈と注文主像─研 究 者:国立西洋美術館 研究員 中 田 明日佳序クェンティン・マセイス(1465/66年-1530年)は、15世紀末から16世紀初頭のアントウェルペンを代表する画家である。本稿では、1514年の年記をもつ彼の中期作《両替商とその妻》〔図1〕に注目する。近世ヨーロッパの両替商は貪欲や詐欺と結びつけられ、批判的視線を向けられる存在であったが、本作では、貨幣を計量する両替商の真摯な態度等がそうした社会通念に基づく読解を躊躇させる。それが作品解釈を複雑にし、諸説が提示されてきているものの説得力ある結論には至っていない。この状況を受け、本稿では作品の諸要素の詳細な再検討を通して改めてその解釈に取り組む。併せて本作の注文主像についても試論を提示したい。1、作品の概要と先行研究画面には両替商の店内が描かれ、カウンターに男女が並んで座る。肩が触れそうなふたりの距離や各々の指輪をみると夫婦であろう。夫は天秤で慎重に貨幣を計量し、その手許を妻が注視している。彼女の前には聖母子像の挿絵のある書物が広げられ、頁を繰りかけの手が直前までの読書への没頭を強調する。カウンターには貨幣の小山や天秤、重りとその容器、指輪、ゴブレット、布袋入りの真珠のほか、窓際で読書する人物を映す凸面鏡が置かれ〔図2〕、奥の棚には帳簿や書類、火の灯らない蝋燭、蜜蝋、天秤、金属製の皿、オレンジらしき果物、ロザリオ、カラフ等が並ぶ。右奥に細く開いた戸口からは街路が見通され、そこでふたりの男が話し込んでいる〔図3〕。夫婦の個性を欠く容貌は作品が肖像画ではなく寓意画であることを示唆する。また、ふたりの古風な装いやマセイスが初期のフランドル絵画に強い関心を抱いていたことからは、過去の雛形への依拠が推察される。その存在は具体的に確認されないが、北方ヨーロッパには本作を先駆する図像伝統が存在した。16世紀初頭の記録は、当時ミラノのランポニャーノ家に、金銭を数える商人ないしは金融業者を描いたヤン・ファン・エイクの絵が所有されていたと伝える(注1)。ペトルス・クリストゥスも1449年の年記をもつ聖エリギウス像または金細工師の肖像を制作している〔図4〕。同作は、全体の構図のほか天秤を持つ人物像や凸面鏡、指輪や布袋入りの真珠、金細工を施したゴブレット等のモティーフにもマセイス作品と共通点をみせ、画家が直接
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