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― 350 ―の施されたゴブレットの存在や、近世フランドルの金細工師が貨幣の価値の判別も行ったことに基づき、本作は宝石商像や金細工師像ともみなされてきた(注8)。しかし、本作を受けて制作されたマリヌス・ファン・レイメルスワーレのヴァリアント〔図6〕やピーテル・クック・ファン・アールストの素描〔図7〕は、同時代の画家たちがマセイス作品を両替商夫婦像と解したことを示す。装身具やゴブレットも両替商の一般的な取扱品とみなされるだろう。中世末期イタリアでは両替商が宝飾品や金細工の販売にも携わっており(注9)、銀行業や金貸し、小売業等に事業を広げていた近世フランドルの両替商が同様のことを行っていても不思議でない(注10)。15世紀初頭まで遡るが、フランクフルトの市営両替所設置時に宝石用の秤が準備されたという記録もあり(注11)、両替商が広く奢侈品を扱った可能性は高い。諸分野に事業を拡大した両替商であったが、中心業務は公定比率による貨幣の両替や、流通を終えた貨幣を地金価格で買い取って造幣局に売却することであった(注12)。マセイス作品の両替商の手許にも、表に四弁の花と十字架、裏に3本のフルール・ド・リスの紋章盾と王冠を表わすフランス国王シャルル6世(在位1380年-1422年)発行のエキュ金貨が認められ、古の外国貨幣の買取り作業が行われているのではないか。両替商は貨幣の質を健全に保つために不可欠な存在であり、また特に国際的な商業都市へ急成長中であったアントウェルペンで、その役割は重要度を増していた。しかし、金銭に関することを賎しいとするキリスト教の伝統の中、金融業者や商人に向けられる視線は依然厳しかった。それはエラスムスら人文主義者の著作のほかヤヌス・グルテルス編纂の諺集(1610-12年刊)所収の諺に端的に確かめられる。方言的特徴からアントウェルペン周辺で15世紀以前より存在したと推測される同諺は、「高利貸、粉屋、両替商、収税人はルシファーの四福音書記者」とすら謳う(注13)。もっとも一方で、マセイス作品の成立後間もない時期から、ネーデルラントの金融業者や商人が職業に従事する自らの姿を描かせ始めたことも忘れてはならない(注14)。1520年頃にはヨース・ファン・クレーフェ〔図8〕が、1529年にはマールテン・ファン・ヘームスケルク(アムステルダム国立美術館)が貨幣を数える男性像を表わした。ヤン・ホッサールト〔図9〕も1530年頃の男性肖像画に書類や天秤、貨幣等を描き込むが、像主はホルムクム市の書記と収税関連の重職を務めたヤン・ヤコブスゾーン・スヌークである可能性が指摘されている(注15)。しかし、最も注目すべきはアドリアーン・イーゼンブラントによる両替商の肖像〔図10〕であろう。1515-20年頃の作とされる同作は、天秤で金貨を計量する人物像にマセイス作品の影響を示し、16世紀初頭の本作受容への洞察をもたらすのである。像主を職業に従事する姿で

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