― 352 ―せるものと戒めている(注20)。16世紀初頭、同書が頻繁に版を重ねたことに鑑みると(注21)、街路の男たちに俗世間の虚しい悦びに身を委ね、内省と神への帰依を怠る精神が読み取られた可能性は高い。彼らと鏡像の男性の構図上、中間に描かれた両替商夫婦は、シルヴァーも指摘するように、精神的にも両者の中間的位置にあると推察される。もっとも当時、両替商らへの批判的視線が依然根強かったことを鑑みると、この仮説は詳細な裏付けを要する。次章では、そのために本作の影響を示す諸作やマセイス自身の風刺表現との比較を行う。さらに、作品に表わされた両替商夫婦の立場を具体的に分析したうえで、本作の注文者像についても試論を提示したい。4、両替商夫婦の精神的位置と作品の注文主像両替商夫婦の精神的位置を知るために、まずマセイスの風刺表現と比較検討しておきたい。彼は1513年頃の《老女》〔図11〕等の風刺図像を残すが、美や若さに執着する愚かさがグロテスクなまでの筆致で描き出された同作の老女像と、本作の若く美しい両替商夫婦像は明白な一線を画す。またフランドルには、キリストの敵対者の精神的醜悪さを容貌描写に反映させる図像伝統があったが、マセイスはしばしばそうした表現を過剰なほど行っている。これらをふまえると、ルーヴル作品に両替商に対する一面的な風刺は読み取り難い。さらに、同時代及びやや後世の画家たちによるルーヴルのマセイス作品受容にも目を向けたい。まず、先に言及したレイメルスワーレのヴァリアントでは、書類や天秤の収納箱、金袋等の加筆の一方、奥の棚の果物やロザリオ、金細工、装身具やゴブレットのほか凸面鏡や街路の人物像も除外された。妻が広げる書物も勘定帳に変更されている。他方、夫のターバンに奇妙な房飾が付け加えられ、火の灯されない蝋燭がより存在感を増すなど、画面には両替商に対する嘲笑的視線と人生の儚さ、悔い改めに残された時間の短さへの警告が読み取れる。マセイス作品を受けて制作されたクックの素描でも街路で話し込む人物像は姿を消し、側面から捉えられた凸面鏡に鏡像は認められない。その一方で、過ぎ去る時を象徴する砂時計が描き加えられている。ウィレム・ファン・ハーフトの1630年頃の画廊画の中にも、マセイス作品のヴァリアントが認められる〔図12〕。画廊画がアントウェルペン商人コルネーリス・ファン・デル・ヘーストの絵画コレクションに基づくことを考慮すると、画中のヴァリアントが16世紀以前より実在した可能性は否定できない。画面では妻の書物の挿絵がアダムとエヴァに変更され、彼女の性的不道徳を示す。ひいては夫にも吝嗇の罪の含意が読み取れるだろう。原画にほぼ忠実で鏡像や街路の人物の姿も認められるが、夫婦が精神的
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