― 27 ―めに流れる動的な雲や水面の白いさざなみ〔図14〕、黒々とした針葉樹の生えた山塊、ハイライトの入った枝、明るい草の黄緑色による表現、どの細部をとっても源吉が山形地域を題材とした風景画でよく用いた表現である(注12)。「放浪生活」といわれた源吉の晩年はその風景画様式の完成期でもあった。他方で、由一と異なりグレーズ技法を用いず、不透明画法による固有色の描写に偏った源吉の作品は光や空間の統一的表現を欠き、全体の平板化や細部表現における類型化を生み出してもいる(注13)。源吉の風景画にみる明るく平明な表現には、英国の画家アルフレッド・イースト(Sir Alfred East, 1849-1913)の影響が考えられる。当時の富士山が描かれた油彩画を比較すると、両者の作品はよく似ている。源吉作《海岸富士遠望図》(明治32年、宮城県美術館蔵)〔図15〕は静岡市清水区由比町にある薩埵峠付近の海岸から臨む富士山を描いたものである。遠景の青空に浮かぶ動的な雲の表現、中景の山脈の色調や波打ち際の飛沫の表現など、明るく平明な写実は瑞々しい印象を画面に与えている。岩肌や人物などに明るい茶色の下塗りがところどころみえ、補色的な対比効果によって青色をより鮮やかに見せている。ただし、富士や左方の岩肌、人物など事物の描写に量感を欠き、光の方向もあいまいでイーストと比べると平板な印象もある。一方、イーストの油彩による《富士山》(府中市美術館蔵)〔図16〕は空の下方、山との境界付近を黄色みがかった色調で描き、大胆かつ的確な、しかし軽やかな筆致で沸き上がる霧や雲を表現しており、ここまで大ぶりな筆致でないが源吉の富士にみる雲や空の表現と共通する。イーストの作品は現在の富士市原地区からみた早暁の富士で(注14)、手前の水面は浮島沼と呼ばれた湿地帯であり、広重も「東海道五十三次」で「原 朝之富士」として題材にしている。イーストの《暁の聖山:雲になかば隠れる富士山》は明るい色調や霧・雲の表現が源吉の作品におけるそれとより類似している(注15)。源吉はイーストと面会し横浜で作品を実見している。明治22年(1889)春にイーストは来日し、各地を旅行・写生した後、同年7月6日に明治美術学会月次小会で講演している。源吉は英語が出来たのを買われて8月に帰国の途にあるイーストを横浜に訪問、明治美術会を代表して謝状を渡しており、その際イーストの「小景写生ヲ一覧セシニ極メテ非凡ノ筆力ナリシ」(注16)と述べている。イーストの作品はむしろ水彩が多かったのであろうが、その明るく平明な感覚から影響を受けたとも考えられる。
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