― 361 ―の弟子は左手のみが描かれている。テーブル中央のイエス・キリストの頭部には光輪が描かれ、右手を挙げ祝福のポーズを取っている。テーブル右側の弟子は椅子から僅かに腰を上げ、イエス・キリストの方に身を乗り出すようなポーズを取っている。本作品は、1618年に制作された《マルタとマリアの家のキリスト》〔図8〕と同様に宗教主題と厨房という風俗描写が組み合わされた作品であるが、《マルタとマリアの家のキリスト》においては食事の支度をするマルタの活動的な描写が前面に押し出されているのに対し、《エマオの晩餐とキッチンメイド》においては仕事をしながらも物思いに耽るような黒人女性の静謐な表情と仕草により、瞑想的雰囲気が描出されている(注4)。更に、ベラスケス《エマオの晩餐とキッチンメイド》における日常場面の写実的表現は独創的であり、黒人女性の表象は実物からの描写であると指摘されている(注5)。16~17世紀スペインにおける社会的背景を考慮すると、ベラスケスが実際に黒人女性を目にした可能性は非常に高いと筆者は考える。ベラスケスの出生地であり、1623年にマドリードの宮廷画家に就任するまで生活したスペイン南部の都市セビーリャは、アフリカ大陸から移送した黒人奴隷をスペインやイタリア諸都市へ再輸出する拠点であった。1565年時点において、セビーリャには6327人の奴隷の存在が確認されているが、これは都市人口の6~8パーセントに相当すると関哲行氏は指摘する(注6)。奴隷の所有は、貴族、聖職者、官位保有者、自由業従事者のステイタス・シンボルであり、ポルトガル系貴族の家系であるベラスケスの近辺にも黒人奴隷が存在していたのではないだろうか。筆者は、マネが19世紀フランス社会において少数派である黒人女性をモチーフとして《オランピア》に組み込んだ要因には、サロン入選を意識した流行のオリエンタリズム絵画の要素の導入と共に、《エマオの晩餐とキッチンメイド》を着想源とするベラスケスの多大な影響があるのではないかと考察した。しかし、先述した『全流派画人伝』のベラスケスの項目においては、《エマオの晩餐とキッチンメイド》の挿絵及び作品についての記述は確認できなかった(注7)。マネが『全流派画人伝』以外の情報源から《エマオの晩餐とキッチンメイド》を知り《オランピア》における黒人女性の着想源としたのか、あくまでオリエンタリズム絵画からの引用であるのかについては今後更に検討を重ねたい。《オランピア》において、黒人女性が配置された空間は神聖な奇跡の場から世俗の娼家に置き換えられている。これは、典型化や理想化に相応しいテーマに相容れない卑近な現実を盛り込む「崇高性の剥奪」というマネ作品の特徴による変更と考えられる。1864年のサロンに《死せる闘牛士》と共に発表された《死せるキリストと天使達》は、スペインの画家フランシスコ・リバルタ(1565~1628)《二人の天使に支え
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