― 363 ―するモチーフとして画面内に挿入されている。人物構成は、白人男性と黒人少年、白人女性と黒人少年、白人少女と黒人少年等多様であるが、主役として描かれた王侯貴族が鑑賞者を見返す視線を持つのに対し、脇役である黒人召使の視線は王侯貴族に向けられ、主役が誰かを強調する機能のみが付与されている。例外として、キリスト教美術における伝統的主題「東方三博士の礼拝(三王礼拝)」において、アフリカ大陸を象徴する博士(王)バルタザールが黒人として表象された作例が挙げられる。他のアジアとヨーロッパを象徴する二人の博士(王)と同様に、豪華な衣装を身に付け贈り物を持ち聖母子の下へ歩み寄る主体的存在として描かれている。しかし、画面内において建築物の柱により聖母子から分断された空間に配置される等、白人として表象された他の二人の博士(王)と明確に差異化された作例も存在する。旧来の西欧において、黒人は本質的に堕落しており、他者をも堕落させる存在というイメージが付きまとっていた。旧約聖書「ノアの泥酔」において、息子ハム(=黒人の先祖)に裸体(=性器)を見られたノアが「僕となってハムの兄弟(=セムとヤペテ)に仕えるように」とハムと息子カナンを呪ったことは、黒人以外の人種(=セムとヤペテ)に仕える黒人(=ハムとカナン)、及び性的行為に過度の関心を持つ黒人というイメージの源泉となったとされる(注8)。16世紀及び17世紀においてアフリカ大陸や南北アメリカ大陸の探検が進展し、ヨーロッパとアメリカに黒人奴隷が輸送されるに伴い、黒人女性が「性」の表現における特別な地位を占めるようになった。アフリカ大陸探検が推進され、黒人の過剰な性欲の「実体」として動物との性的接触が伝播されると、黒人を白人と本質的に異なる堕落した存在として際立たせ、黒人の性的欲望を動物的なものとする表現が生み出された。博物学者ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(1707~88)の「猿と黒人を分かつ相違は把握しがたい」という言説が示すように、黒人は猿と同様に動物として表現された。図像解釈学における猿は、悪魔の象徴であり異端及び異教を意味するモチーフとして扱われ、邪悪全般と関連付けられ「淫欲」の形象化にも用いられた(注9)。既存の猿の表現と黒人が結び付けられ、過剰且つ異常な性的欲望のパロディ化が繰り返された。このイメージは黒人女性にも適用され、性的に堕落した者であり他者を堕落させる者(=誘惑者)と見做され、性的な猥褻性を示す機能を担わされた。19世紀においても、黒人と性のイメージの結び付けは継続した。白人女性と黒人女性がペアで表象された場合、黒人女性は白人女性の隠された(或いは露骨な)欲望を暗示するモチーフとして機能している。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~
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