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― 370 ―㉟ セビーリャ、サンタ・カリダード聖堂研究─ムリーリョの「七つの慈悲の業」連作をめぐって─研 究 者:長崎県美術館 学芸員  豊 田   唯はじめにセビーリャのサンタ・カリダード聖堂は、1645年にサンタ・カリダード兄弟会の本拠として建設が始められた単廊バシリカ式の聖堂である。カリダード兄弟会は地元の信徒会の一つであり、16世紀後半の創立以来、その目的は「死者の埋葬」を通して対神徳の一つたる慈愛を積み、みずからに死後の救済を保証することであった。一方、1663年就任の会長ミゲル・マニャーラ(1627~79年)は兄弟会そのものの拡充を目指しつつ、新聖堂の内部装飾も重視し、それを主導した。その結果、1674年の献堂時、堂内は8点のバルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617~82年)作の絵画と2点のフアン・デ・バルデス・レアル作の絵画、そしてベルナルド・シモン・デ・ピネーダ設計の主祭壇衝立により鮮やかに彩られることになる〔図7〕。本稿では、これら計11点の作品のうち、早くに制作が始められた7点、なかでも主祭壇衝立を除く6点のムリーリョ絵画に目を向け、その連作としての構造と機能の一端に迫りたい。というのも同聖書説話画連作については、これまで「七つの身体的慈悲の業」(以下、「七つの慈悲の業」)のうち、六つの暗示である事実が確かめられるにとどまり、各作品の物語選択や堂内配置の理由はおおよそ探られてこなかったからである。それに対して報告者は、まず、ムリーリョの「慈悲の業」連作の制作プロセスを確認した後、「七つの慈悲の業」図の系譜への位置づけを新たに試みる。そして、その堂内配置の問題にアプローチすべく、対抗宗教改革期セビーリャの説教についての調査をもとに、同連作が「七つの慈悲の業」のみならず、聖餐(エウカリスティア)を暗示していた可能性を指摘する。I.ムリーリョの「慈悲の業」連作カリダード聖堂の「慈悲の業」連作のうち、6点のムリーリョ絵画は1666年から70年にかけて順次、身廊の南北両壁の高所に掛けられた(注1)。その当初の堂内配置は歴史家ポンスの旅行記をもとに復元でき(注2)、それぞれに聖堂正面入口側から主祭壇側へと向かって北壁には《アブラハムと三天使》、《放蕩息子の帰還》、《ホレブの岩の奇跡》が、南壁には《聖ペトロの解放》、《身体の麻痺した人を癒すキリスト》、《パンと魚の奇跡》が飾られていた〔図1~6、13、14〕。

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