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― 371 ―カリダード聖堂の「慈悲の業」連作の使命は、マニャーラ自身も宣言しているように(注3)、何よりも「七つの慈悲の業」の全容を兄弟会の会員に開示することであった。「七つの慈悲の業」は、聖書の記述をもとに教父の時代から中世にかけて発展し、西欧全域に広く定着した宗教伝統である。キリストはオリーブ山で弟子に「最後の審判」を予告した際、他人が「飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ね」た者こそ、天国に迎えられるであろうことを宣言したという(注4)。一方、カリダード聖堂の「慈悲の業」連作の中核に位置づけられたのは、「眠る墓のない死者の埋葬」の暗示を担う主祭壇衝立である。その行為は唯一、上掲の言葉に含まれていないものの、12世紀末に七つ目の「慈悲の業」として加えられた(注5)。かくしてマニャーラは、ペドロ・ロルダン作の群像彫刻《キリストの埋葬》を同祭壇衝立の中央に据え、その場面を介してカリダード兄弟会の創立理念たる「死者の埋葬」を格別な「慈悲の業」として堂内に掲げたのである。残り六つの「慈悲の業」についても、カリダード聖堂では同じく聖書の物語を介し、一つひとつが提示された。つまり、《アブラハムと三天使》は「旅人に宿を貸す」行為を、《聖ペトロの解放》は「囚人を訪ねる」行為を、《放蕩息子の帰還》は「裸の人に服を着せる」行為を、《身体の麻痺した人を癒すキリスト》は「病人を見舞う」行為を、《ホレブの岩の奇跡》は「渇いた人に飲み物を与える」行為を、《パンと魚の奇跡》は「飢えた人に食べ物を与える」行為を表すのである(注6)。例えば、《アブラハムと三天使》では、おおよそ『創世記』の記述通り、アブラハムが三人の「神の使い」を木陰に恭しく迎えようとする場面が再現されている。ただし、その一般的な図像ではアブラハムの妻サラが屋内から様子を窺っているのに対し、本作の小屋からは誰も顔を覗かせていない。しかしながら本来、同エピソードにおいてサラは不可欠な存在であった。なぜなら、その物語としての本質は、アブラハムとサラへのイサク誕生の予告に求められるからである。つまり、本作においてムリーリョは敢えてサラを省くことで、その説話画としての色合いを抑え、「旅人に宿を貸す」という「慈悲の業」をより際立たせようとしているのであろう。II.「七つの慈悲の業」図の変遷─ムリーリョ連作の位置─「七つの慈悲の業」は中世以降、ヨーロッパ各地の信徒への伝播を背景に、絵画や彫刻の主題として頻出するようになった(注7)。しかし、同図はもともと単独の図

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