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― 373 ―ろうか。III.ムリーリョの「慈悲の業」連作と聖餐ムリーリョの「慈悲の業」連作における聖書の物語への取材は、これまで内陣前の空間に飾られた《ホレブの岩の奇跡》と《パンと魚の奇跡》について、聖餐への言及を兼ね備えるものとして捉えられてきた(注12)。まず、「ホレブの岩の奇跡」の説話画による聖餐の暗示は、中世以降、「ホレブの岩」からの湧水が十字架上のキリストからの流血の予型と見做されるようになったことに端を発する古典的な方法である(注13)。また、《パンと魚の奇跡》についても、みずからの体たるパンを《ホレブの岩の奇跡》同様に主祭壇寄りの位置から割き与えるキリストが聖餐の暗示である可能性は、十分に存するに違いない。そして、その聖餐へのより直接的な言及こそ、これらの作品が6点のうち、最も内陣寄りに配された理由の一つなのであろう(注14)。対抗宗教改革期のカトリック教会では聖餐もまた、パンとワインの「実体変化」をめぐるプロテスタント側の反駁を経て、最も重要な擁護対象の一つとなっていた。とりわけスペインでは「実体変化」を前提に、聖体への信仰が説教、さらには同国特有の「聖体神秘劇」などを通し、信徒一致の象徴として強く促されていた(注15)。その時期のセビーリャにおいて、「アンダルシアの使徒」こと聖フアン・デ・アビラ(1499/1500~69年)の説教は重要な神学的典拠の一つであったに違いない。というのも、フアン・デ・アビラ自身が生前にアンダルシアの各地で聖餐をテーマに幾度も説教していたのみならず、そのスクリプトの刊行により17世紀まで説教の内容が明確に伝えられたからである(注16)。また、先行研究でも指摘されているように、マニャーラがフアン・デ・アビラの著作や説教に通暁していたことは、自著『真理の論考』における引用にも明らかであろう(注17)。これらの状況に鑑みて報告者は、同時代の厖大な説教からフアン・デ・アビラのものに的を絞り、スクリプトを精査した。その結果、彼が「聖体の祭日」の際に授けていた説教の一つにおいて、聖餐の重要性が「七つの慈悲の業」を通して語られていることを発見できた(注18)〔図12〕。同説教においてフアン・デ・アビラは聴衆に対し、聖餐が人間の救済と直に結びついた秘跡であることをわかり易く教えるために、それを究極的な「七つの慈悲の業」の在り方として理解するように促している。そして「旅人に宿を貸す」行為と「囚人を訪ねる」行為を特別に採り上げ、それらの「慈悲の業」が貧者への奉仕のみならず、聖餐によっても果たされるべきであることを説く。

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