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― 374 ―この説教では、まず、いずれの「慈悲の業」についての主張にも共通の前提が次のように示されている。「偉大なる『人間』キリスト〔自身〕に善行を施した者は、キリストへの愛に導かれながらもキリスト以外の人間に善行を施す〔しかない〕者に比べ、遥かに大きく誉れ高い報いを受けるであろう」。ゆえに、まず、「旅人に宿を貸す」行為についてキリストは、現世の人間も同じくみずからに直接、「慈悲の業」を捧げられるように、聖餅として顕現し、彼らの口に入れられることで体内に「宿ろう」としているという。つまり聖餐に正しくあずかった者は、キリストを身籠った聖母マリアらに並ぶ最高の「慈悲の業」を実践したことになり、救済に至るというのである。また、第二の「囚人を訪ねる」行為についても、同様の論理が繰り返されている。かくしてフアン・デ・アビラの説教では、聖餐を「七つの慈悲の業」の文脈へと明快に位置づけるために、「旅人に宿を貸す」行為と「囚人を訪ねる」行為が代表として初めに選ばれている。一方、その導入的な役割はカリダード聖堂の装飾プログラムにも受け継がれたのではなかろうか。というのも、ムリーリョの「慈悲の業」連作において《アブラハムと三天使》と《聖ペトロの解放》は、ほかの作品を先導するかのように正面入口側の壁面に掛けられたからである。リカールの調査によれば、近世初期の公教要理などにおいて「七つの慈悲の業」が列挙される際、その順番は一定でなかったものの、「旅人に宿を貸す」行為についても、「囚人を訪ねる」行為についても、それが初めに現れる事例は見あたらない(注19)。この神学的な傾向に鑑みても、カリダード聖堂における二つの「慈悲の業」の特異な配置の背景に、フアン・デ・アビラの説教に基づく聖餐の導入としての役割を見出すことは十分に可能であろう。IV.カリダード兄弟会と聖餐以上の考察によれば、ムリーリョの「慈悲の業」連作は「七つの慈悲の業」にとどまらず、聖餐の暗示を担っていた。しかし、確かに聖餐は同時代のセビーリャ画壇において最も重要なテーマの一つであったものの、カリダード聖堂が何よりも同兄弟会の本拠であったことを考えれば、そのテーマ選択の理由はやはり第一に兄弟会の理念に求められるべきであろう。カリダード聖堂では、当時、会員に対し、兄弟会つき司祭を筆頭に複数の司祭が交替でミサを授けていた(注20)。それらのミサにおける聖餐は兄弟会にとって、みずからのアイデンティティを確かめる機会であったように思われる。というのも17世紀後半のセビーリャで「七つの慈悲の業」は、確かに社会的な要請に応えるものであっ

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