tsuto
385/639

― 375 ―た反面、あくまで信仰の実りとして実践されるべきものであったからである。特にフアン・デ・アビラは、先述の説教を終えるに際し、聖餐こそすべての「慈悲の業」の前提であることを明言している。つまりカリダード兄弟会の会員は、みずからの貧者への奉仕が神に美徳として受け入れられるように、聖餐を通して常にキリストと一致し、神への信仰を表明しなければならなかったのではなかろうか。また、カリダード兄弟会のミサは、彼らの結束が確かめられる機会でもあったに違いない。当時の兄弟会は新会長マニャーラのもと、1664年の救貧院開設の決定を端緒に、みずからの奉仕の対象を「眠る墓のない死者」から「身寄りのない貧者」全般へと拡大しようとしていた(注21)。その方針は、1660年代後半に「眠る墓のない死者の埋葬」のみならず、「七つの慈悲の業」すべてのアレゴリーが新聖堂に飾られていった事実にも、如実に表れているように思われる。一方、マニャーラはカリダード兄弟会の規模拡大を推し進めながらも、その理念的な革新により団結が綻びるのを予め防ぐかのように、1664年初頭、同聖堂の定期的なミサや説教にあずかることを会員に命じている(注22)。なかでもミサの定例化は、彼らの一人ひとりが聖餐を通してキリストと一致し、結果、キリストにおいて文字通りに「一体」となり続けることにほかならなかった。つまり、変革期に置かれていたカリダード兄弟会にとって、聖餐は対抗宗教改革の文脈においてのみならず、会員が貧者への奉仕の本質をキリストに見出し、それを通して改めて結束を固めるために不可欠な秘跡であったのではなかろうか。おわりに本調査研究では、カリダード聖堂の「慈悲の業」連作のうち、6点の絵画について、特に同時代の説教スクリプトを手がかりに、そのメッセージの重層性をより深く追った。まず、同絵画連作における聖書への仮託は、対抗宗教改革の文脈において「七つの慈悲の業」を正統なものとして擁護する手段であったように思われる。しかしながら同時に、内陣前の《ホレブの岩の奇跡》と《パンと魚の奇跡》の物語は、その下方で授けられる聖餐の典拠としても機能しているのであろう。一方、フアン・デ・アビラの説教の一つでは、聖餐が至高の「慈悲の業」に位置づけられ、その理由がなかでも「旅人に宿を貸す」行為と「囚人を訪ねる」行為を中心に説明されている。したがって、それら二つの行為が同時代の神学において「七つの慈悲の業」の代表として先頭に立つ事例をほかに見出せないことを考えても、カリダード聖堂の「慈悲の業」連作における冒頭の絵画たる《アブラハムと三天使》と

元のページ  ../index.html#385

このブックを見る