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― 385 ―(1)北壁の供養図の本尊と供養者の服装についてまず、七面の供養図における本尊について、先行研究には様々な説が知られている。張大千氏の『漠高窟記』では釈迦仏と多宝仏などの八仏とし(注25)、『敦煌莫高窟内容総録』では無量寿仏、拘那含牟尼仏、迦葉仏、釈迦と多宝とし(注26)、『中国石窟-敦煌莫高窟』では、過去の七仏と多宝仏とする(注27)。ほかに七仏と弥勒仏、過去七仏などの説もある(注28)。段文傑氏は発願者によって自由に組み合わせた結果であると指摘した(注29)。なお、北壁の東より第一区から第六区の供養図の下部に描かれた人物群中において、願主とは関係なく、世俗供養者の前に香炉や花を持ち先導する比丘と比丘尼がいる〔図7〕。先頭に立つ比丘形の人物像は、仏教教団の教化僧の姿であるという(注30)。少数民族のような男性供養者〔図8〕は、氈帽をかぶり、袴褶を穿いて、腰には革帯をつけ、水壷をぶらさげて、小刀等の生活用具を携える姿に表され、段氏は北方民族の胡服であると指摘した(注31)。その中の女性供養者像〔図9〕については、北魏孝文帝の服制改革後、鮮卑貴族婦人に広く行われた服装であり、漢化した鮮卑族の服装であると述べている(注32)。石松氏によれば、服飾改革以前の北魏においては、仏教美術も墓葬美術も、登場人物を鮮卑族の服装で表していたとされ(注33)、本来の胡服と違い、漢服に似ていると指摘されている。ただ、北壁の東より第七区の発願文と傍題はすべて見えず、他の区とは大きな違いがある。まず、供養者画像の人数も左右対称ではないので、個人で供養する人がいるかと考えられる。そして、発願文の東側に三人の漢服を着ている男性画像と西側に漢服を着ている女性画像を描いている〔図10〕。それらは、ほか六面の供養図に対しての供養者とは異なる民族の身分を表していると推測できる。(2)俗人供養者の名字について北壁の供養図に見られる名字の中、一番多いのは「滑氏」である。「滑氏」は一般に西北少数民族の姓に多い(注34)。そして、東より第一区の孫昔海(注35)という男児形の供養者については、短い髪を中央と左右に分け、その間を剃っているように見える〔図11〕。この髪型は鮮卑族の童子の髪型であると指摘されている(注36)。岡崎敬氏はさらに彼らが滑国の出身と判断した(注37)。氏によれば、第一区の供養者は滑国(鮮卑族)出身の「滑氏」と称する一族であるという。なお、池田温氏は、『天寶十載敦煌縣差簿』にある康、安、石、曹、羅、何、米、史という姓氏のソグド人であることを指摘した(注38)。それによれば、第六区の女

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