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― 387 ―終わりに以上三節にわたって、第285窟の構造とその造営者に関する諸問題を検討した上で、石窟の構造上の特徴が持つ宗教的機能について試論した。第285窟の四壁の造営については、各時代によって、石窟の造営者も、使用目的も何度か変わったとした。また、北壁の供養図における供養者を基軸としつつ、その造営者は、一人あるいは一族ではなく、「邑社」造像と類似しているとみなした。第285窟のヴィハーラ式についての議論をあらためて振り返ってみると、石窟に掘った八つの房室は、造営者の一人の専用の座禅窟ではなく、民族とも関係もない。供養者の誰でも坐禅できる修業の舞台の役割があったと考えられる。注⑴ 宇野朋子ほか「敦煌莫高窟第285窟における壁画の劣化への光環境の影響」『保存科学』2010年、第111頁。⑵ 大場詩野子ほか「敦煌莫高窟第285窟壁画の保存状態」『保存科学』2009年、第99頁。⑶ 樊錦詩、他「敦煌莫高窟北朝石窟の時代区分」『中国石窟─敦煌莫高窟』第一巻、平凡社、1980年11月。⑷ 蕭黙「敦煌莫高窟の石窟形式」『中国石窟─敦煌莫高窟』第二巻、平凡社、1980年11月。⑸ a.平井宥慶「敦煌における陀羅尼の効用」『豊山教学大会紀要』7、1979年10月、第66頁。 b.佐々木律子「敦煌莫高窟第二八五窟西壁内容解釈試論」『美術史』第142冊、美術史学会編、1997年3月。 c.彭金章「関於敦煌密教的幾個問題」『2004年石窟研究国際学術論文集』、上海古籍出版社、2006年。⑹ 頼鵬挙『敦煌石窟造像思想研究』、文物出版社、2009年8月。⑺ a.沙武田「北朝時期佛教石窟芸術様式的西伝及其流変的区域性特徴─以麦積山第127窟与莫高窟第249窟、285窟的比較研究為中心」『敦煌学輯刊』2011年2期、第95頁。⑻ a.段文傑「中西芸術的交漚点─論莫高窟第285窟」『敦煌石窟芸術─莫高窟第285窟』、江蘇美術出版社、1995年。 b.賀世哲「従供養人題記看莫高窟部分洞窟的営建年代」『敦煌莫高窟供養人題記』、文物出版社、1986年。 c.馬徳『敦煌莫高窟史研究』、甘粛教育出版社、1996年12月。⑼ 宿白「東陽王与建平公(二稿)」『中国石窟寺研究』、文物出版社、1996年8月。⑽ 碑文の全文は「莫高窟者、厥初秦建元二年、有沙門楽僔戒清虚、執心恬静。當杖錫林野、行止此山、忽見金光、状有千仏。遂架空鑿嶮、造窟一龕。次有法良禅師、従東屆此、又於僔師窟側更即営造。伽藍之起濫觴於二僧。復有刺史建平公、東陽王等各修一大窟、而後合州黎庶造作相仍、實神秀之幽岩、霊奇之浄域也。(中略)爰自秦建元之日、迄大周聖暦之辰、楽僔、法良發其宋宗、建平、東陽弘其跡。推甲子四百他歳、計石窟一千餘龕。今見置僧徒、即為崇教寺也。」である。⑾ 八木春生『中国仏教美術と漢民族化─北魏時代後期を中心として』、法蔵館、2004年2月。⑿ 宿白「敦煌莫高窟早期洞窟雑考」『中国石窟寺研究』、文物出版社、1996年8月。

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