― 394 ―の個性の一つと見ることが可能であろう(注7)。では、群像の大報恩寺十大弟子像をみると、優婆離像と阿那律像、富楼那像の3体の耳〔写真④〕は、耳の幅などの相違があるものの、どれも上脚がすっと上を向いており、対耳輪のバランスも行快と近く、行快の耳としても問題ない(注8)。特に阿那律像は、法眼行快の銘がある同寺本尊の釈迦如来坐像と耳の形だけでなく、横顔における耳の配置なども酷似しており、本尊を造像した行快の手である可能性が高い。優婆離像の頭部内には、「法眼/快慶/□□/行快/法橋」と銘文があり、法眼快慶の元で法橋行快が造像を行ったように読み取れる。おそらく十大弟子10体の総責任者が快慶で、この像を造ったのが行快という事なのだろう。統一感が求められる群像の中でも、行快は自分のくせの耳を表しているのである。以上のことを踏まえ、「巧匠法橋行快」の作である可能性が高い滋賀・浄信寺の阿弥陀如来立像(注9)や、その可能性が説かれる三重・遍照寺の阿弥陀如来立像、京都・峯定寺の阿弥陀如来立像の耳をみると、〔写真⑤〕、これらも上脚が上方にのび上がっていることが確認できる。浄信寺像は耳の幅が少し狭く、上脚も若干控えめに上の方を向いている感あるが、これは西教寺像等の法橋時代の耳の傾向であり、まさに法橋行快によって造像されたとするにふさわしい。一方、遍照寺像の耳は、しっかりとした幅広の耳輪の中に、上脚が強めに上方を向いている。この耳は1230年代の法眼時代の諸像に近いのではないだろうか。峯定寺像の耳も同様で、上脚がのびやかに上がりをみせ、北十萬像の耳にかなり似ており、法眼時代の耳として問題ない。以上のように、行快の現存作例(在銘・無銘記)を見た限りでは、今のところ「快慶の耳Ⅱ」以外の耳はみられないため、これが行快の癖としていた耳の形といっても問題ないと言えるだろう。4.快慶銘がある像の「快慶の耳Ⅱ」では今度は、その行快が所属した工房の主、快慶の銘文がある像の「快慶の耳Ⅱ」についてみていきたい(注10)。〔写真⑥〕【アン阿弥陀仏】時代 ①京都・醍醐寺・不動明王坐像(左耳・前後)、②三重・新大仏寺・盧舎那仏坐像(両耳・一木)、③東京・個人(伊賀別所伝来か)・丈六菩薩像耳(右耳)、④滋賀・石山寺・大日如来坐像(右耳・正中)、⑤東京・東京芸術大学・大日如来坐像(両耳・正中)、⑥奈良・安倍文殊院・文殊菩薩騎獅像(左耳・正中)、⑦同、眷属像(左耳△・前後)、⑧奈良・東大寺・僧形八幡神坐像(左耳△・正中)、⑨奈良・東大寺・阿弥陀如来立像(右耳△・前後)、⑩和歌山・遍照光院・阿弥陀如来
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