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― 395 ―立像(右耳△・前後)、⑪和歌山・金剛峰寺・執金剛神立像(両耳)【法橋】時代 ①大阪・大円寺・阿弥陀如来像(左耳△・前後)【法眼】時代 ①大阪・藤田美術館・地蔵菩薩立像(左耳。右耳は△・前後)、②京都・大行寺・阿弥陀如来立像(左耳・前後)、③滋賀・圓常寺・阿弥陀如来立像(左耳△・前後)、④奈良・西方院・阿弥陀如来立像(右耳 左はⅢに近い・前後)、⑤京都・随心院・金剛薩埵(両耳・正中)、⑥京都・大報恩寺・十大弟子像(先述)などであろう。ⅠともⅡとも、どちらともいえそうな像も見受けられるが、これらを通観すると次のことが導き出される。1.このⅡの耳は、アン阿弥陀仏時代から法眼時代にいたるまで、快慶の各時代の作例を通して見られる。2.大報恩寺の十大弟子像や、金剛峰寺の執金剛神・深沙大将像(「快慶の耳Ⅰ」をもつ)などの群像において、並列してⅠとⅡの耳が存在している。3.一つの像で、Ⅰの耳とⅡの耳の両方がみられる像がある。これらにより、快慶本人の癖が、ⅠからⅡへ変化していったわけではないことがわかる。ゆえに、Ⅱの耳を持つ像は、行快がある程度造像を任された像ということが出来るのかもしれない。そして、一具の像で「快慶の耳Ⅰ(=快慶)」、「快慶の耳Ⅱ(=行快)」(注11)、などが混在しており、快慶が工房内で弟子たちと共に分担して造像を行っていたことがよくわかる。さらに一体の像では、正中矧ぎであれば、快慶と行快が左右を分担した可能性がでてくる。石山寺像では左がⅠ、右がⅡ、安倍文殊院像ではその逆のパターンであるから、この場合、一人の同じ仏師の利き腕などのくせではないことは明らかである。1体の像で左右を分業し、後に合わせたのであろう。表をみるともう一つ、前後矧ぎの像においても、左右の耳が異なる像がある。これは材が同じなので単純に左右を分業したとは言えない。こちらは利き腕の問題、もしくは鑿が走ってしまったものか、もしくは行快が快慶の耳を真似て造像を行っているうちに、ふと片方だけ自分のくせが出てしまったのか、さまざま推測できるが、明確な理由は後考に待ちたい。5.無記名像の様相さて、快慶(=在銘像)に作風や構造が近似するが、銘文がないため「快慶作」と明言されていない像の耳の形はどうだろうか。今回の助成でいくつか調査を行ったのでその一部の簡単な報告と確認を行いたい(注12)。〔写真⑦〕

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