― 396 ―①兵庫県加西市・小谷阿弥陀堂・木造阿弥陀如来立像(注13)本像の肉づきや姿勢は実に堂々としており、快慶初期の像と比べても遜色ない。特に裙の打ち合わせが背面の中央に表れるという特異な表現を持ち、これは管見の限りでは快慶初期の作である京都・遣迎院像と無記銘の大阪・藤田美術館の阿弥陀如来立像しか例がない(注14)。また、衲衣の左肘に垂れる部位の処理の仕方が和歌山・遍照光院像などの快慶無位時代のものと近く、面相も大阪・八葉蓮華寺像に近似することから、快慶(工房)により1190年代に造像されたものと思われる。耳を見ると、ボストン美術館像とそっくりであり、快慶の初期の頃の造像と言えるのかもしれない。さらには南東に15キロしか離れていない浄土寺(小野市)諸像との関連も考えられよう。脇侍像は鎌倉中期の造像。②愛知県常滑市・東龍寺・木造阿弥陀如来立像(注15)本像も体躯のバランスが程よく均整の取れた、「アン阿弥」時代の作風を強く示す優像である。胸の衣の表現も山本勉氏分類(注16)の初期の形式であり、面相や衣文の表し方などは、奈良・東大寺の阿弥陀如来立像に近い。耳は太めのしっかりとした耳輪で、対耳輪も力強く、形は「アン阿弥」時代の奈良・安養寺像の耳と近似する。快慶(工房)により1200年代前半の造像と思われる。ちなみに室町時代に比叡山からもたらされたという記録があり、快慶がよく手掛けていた天台浄土教の作例の一つと言えるのかもしれない。③滋賀県近江八幡市・某所(所有者名非公開)・木造阿弥陀如来立像(注17)新出の安阿弥様阿弥陀如来立像で、両脇侍は鎌倉中期の別具。快慶工房では、1210年代中頃から裙の裾が長くなり、引きずるような表現が見受けられるようになるが、本像のそれは若干左右に広がりを見せ、その萌芽を感じることが出来る。着衣は山本分類の第2形式(1205~11年頃に多い)。耳は法眼時代のキンベル美術館像に近似する。快慶(工房)により1210年代前半頃に造像か。こちらも天台浄土教に関わる像の可能性がある。④兵庫県たつの市・浄運寺・木造阿弥陀如来立像(注18)安阿弥様を強く示す阿弥陀像。胸の衣は山本分類の第2形式。着衣が図像的に近似する岡山・東寿院像には1211年の銘文があり、本像もこの頃に制作された可能性があろう。なお本寺のある室津は古代から良港として著名で、建永2年(1207)に法然上人が讃岐配流の際、ここから四国へ出発している。その時本寺に立ち寄り、さらに後に許されて戻るときにも訪れているという。本像の作風から見て、法然上人と直接結び付けるのは少し躊躇されるが(とはいえ、形式だけでいえば1207年頃に造立の可能
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