― 397 ―性も否定はできない。)、法然教団を含む天台浄土教に関する造像を快慶工房が請け負っている例が多く見られることから、法然上人の弟子筋が快慶(工房)に造像を依頼して本寺に安置したとしても不思議ではない。耳は、対耳輪の形はこの頃の快慶像に近いが、耳輪がやや小さめで弱い。その差異の表現をどのように考えるかは今後の課題であろう。こちらも天台浄土教に関わる像である。脇侍像は江戸時代。⑤三重県松阪市・安楽寺・木造阿弥陀如来立像(注19)本像は一見して快慶の法眼時代のキンベル美術館の釈迦如来立像にそっくりな作風を持っている。特に面相の形や肉髻の高さ、髪際のライン、眼と眉、さらに鼻と口の間隔、さらには胸の表し方や衣文の表現もよく似ている。耳の形も全体の形や耳孔、耳朶の形をはじめ、対耳輪の形はまさにキンベル美術館像に近似し、同じ作者という印象を強く持つものである。なお、本像の足枘には墨書銘があるが、部分的に削られており、判読不能と思われていた。しかし今回報告者は、藤田美術館の地蔵菩薩像等の墨書銘を参考にした結果、この銘文は「巧匠/法眼快慶」と読めると判断した(注20)。つまり本像を、快慶の法眼時代の新たな真作(39番目)とすることが可能であると考えている。以上みてきたように、銘文がなくとも快慶の作風を強く持つ像であれば、耳の形も在銘像とよく似ていることがわかる。おわりに今回快慶作例の耳の分類を行い、快慶の工房において一つの像に想像以上に複数の手が加わっている可能性がみえてきた。それは同じ快慶の在銘像の作風が一定ではないことからも明らかである。これだけ現存作例がみられる快慶であり、大量に制作していたのであろうから、むしろ当然であろう。であれば、快慶もしくは行快の作風に近い無記銘像のもつ耳も、在銘の像と比較するべきポイントがそっくりであれば、同じ論理で理解することが出来そうである。つまり双方の差は現在銘文を確認できるかできないかの違いしかないのではないだろうか。ゆえに些細な差異をとりあげて「快慶工房の作」もしくは「快慶周辺の作」として快慶真作であることから遠ざけるよりも、その可能性のあるすべての像を一度「快慶の作」として俎上に載せ、トータルとして表現上の特徴やくせの抽出を行い、その可能性の再検討を行えば、当時の快慶工房の表現のバリエーションがもう少し理解できるだろう。耳はその有効な手段の一つとなりえるだろう。
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