― 399 ―⑿紙数の都合上、それぞれの詳細については稿を改める。⒀かつて『加西市史』編纂事前調査において神戸佳文氏(兵庫県立歴史博物館)によって確認されたもので、快慶に近い像として解説されている。報告者も加西市史の編纂に参加していたが、今回改めて萩原康仁氏(加西市教育委員会)のご協力で調査を行った。「中刻2 阿弥陀如来立像 1躯」『加西市史』第4巻「本編4 文化財(美術・工芸)」加西市史編さん委員会 2003年⒁通常前にあるべき裙の打ち合わせを背面に表すところも快慶工房の独特のくせである。大方は左足ふくらはぎ後ろにくるが、本像のように背面中央にくるものは極めて珍しい。快慶工房の造像上のくせについては稿を改めて触れる予定である。⒂本像は近年発刊された愛知県内の文化財を網羅する『愛知県史 別遍編 文化財3 彫刻』(愛知県史編纂委員会 2013年)に掲載されていないため存在が目立たないが、左記などに記されている。なお本像は、杉﨑貴英氏(帝塚山大学)にご教示、ご協力いただいた。『常滑市誌 文化財編』常滑市 1983年『東龍寺誌』巌松山東龍寺 2006年⒃山本勉「安阿弥陀様阿弥陀如来立像の展開─着衣形式を中心に─」『仏教芸術』167 1986年⒄本像は、山本順也氏と桑野梓さん(共に近江八幡市・市史編さん室)にご教示、ご協力いただいた。所有者の意向で所有者名は非公開。⒅本像は、神戸氏と江里康慧氏(平安仏所)それぞれにご教示いただいた。本像はかつて『御津町史』(第4巻 御津町 1997年)に神戸氏によって「快慶の作風をよく示す」像として解説されている。⒆本像は、瀧川和也氏(三重県総合博物館)と藤田直信氏(松阪市・観音寺)ならびに杉﨑貴英氏にご教示、ご協力いただいた。本像はすでに地元の藤田氏が快慶に近似する像として紹介を行っている。但し、そこでは足枘の墨書銘の読みを保留している。藤田直信「安楽寺木造阿弥陀如来立像について─調査報告と今後の課題─」『三重の古文化』95 三重郷土会 2010年⒇『左足枘外側墨書銘』は、見た限り現状では「□□(巧匠ヵ)/□□□慶」とかろうじて読める状況である(□は後世に表面が削られており判読困難)。そこで大坂・藤田美術館の木造地蔵菩薩立像の墨書銘をみてみると、足枘の中央に「法眼快慶」とあり、その向かって右側上部に「巧匠」を配している。本像の銘文もそのポジションは近似しており、読みづらいがそれを参考にすれば右の2文字も「巧匠」と読むことが出来よう。そして、2行目の一番上は、「法」になんとか読め、2文字目は「木へん」ではなく「目へん」の字であろう。ゆえに「眼」と読めそうである。となると、「巧匠/法眼□慶」まで読める。この作風で、この時期に「巧匠/法眼□慶」と名乗り得るのは快慶だけなので、「巧匠/法眼快慶」と判読することが可能であろう。執筆にあたり、所有者のみな様をはじめ、調査にご協力いただきました上記の方々ならびに、塩澤寛樹氏(群馬県立女子大学)、末吉武史氏(福岡市博物館)、萩原哉氏(武蔵野美術大学)、松岡久美子さん(龍谷大学龍谷ミュージアム)、久永昴央氏(同志社大学大学院)などのみなさんにはお世話になりました。写真は、報告者撮影のほか、『日本彫刻史基礎資料集成』より転載した。
元のページ ../index.html#409