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― 403 ―㊳ アメリカにおけるエドワード・S. モースの日本陶器コレクションの影響─ルックウッド・ポタリーを例に─研 究 者:埼玉県立近代美術館 学芸員  五 味 良 子はじめに19世紀後半から20世紀初頭に活躍したアメリカ人博物学者エドワード・S. モースは、日本各地の陶器や生活道具を体系的に蒐集し、アメリカの諸都市で日本文化を紹介する講演や著作活動を行うなど、日米間の文化的交流において大きな足跡を残した人物として知られる。現在モースの蒐集品は北米の複数の施設に収蔵されている(注1)。またシンシナティに居を構えたルックウッド・ポタリー社(1880-1967)は、国際的に高い評価を得たアメリカ陶磁史上最大規模の製陶所である。初期において日本風の製品を作っており、その作例はアメリカのジャポニスムの陶磁器を代表する存在である。ルックウッドが残した製品の型録にはモース・コレクションに由来する旨の記述が複数認められ、参考とした様子がうかがわれる。しかしその具体的な影響はいまだ明らかになっていない。従来モースの陶器蒐集については、動物学・考古学・民俗学をはじめ多方面で活躍したモースの日本における足跡をたどる研究の中で言及されている(注2)。一方で国内向けの日用品を中心とするその蒐集品は、これまで陶磁史やジャポニスムの研究では取り上げられる機会が稀であった(注3)。そこで本研究では、モースの蒐集品とそれをもとにした製品の調査を通じて、ルックウッドを中心とするモース・コレクションの同時代のアメリカ陶磁への影響とその位置づけを検証することを目的とした。モースの蒐集陶器についてモースは生涯で3度日本を訪れているが、ドロシー・G. ウェイマンの伝記『エドワード・シルベスター・モース』(中央公論美術出版、1976年)によると、陶器の蒐集を始めたのは、2度目に来日(1878年4月23日-1879年9月3日)した際のことであった。1878年秋、散歩の途中でホタテガイの形をした陶器を見つけ、貝類の研究をしていたモースはそれを購入、ここに世界有数規模の日本陶器の蒐集が始まった。モースの蒐集に大きな影響を与えたのが、明治政府の文化財保護や博覧会・博物館行政に携わり、古美術に造詣の深かった蜷川式のりたね胤(1835-1882)であった。モースは1879年頃から頻繁に蜷川を訪ね陶器の鑑定法を学び、陶工の系譜や銘の知識を習得す

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