― 404 ―る。もともと動物学者として種類の識別に長けており優れた記憶力を持っていたため、日本語を判読できないながらも窯や陶工の印銘を正確に見分けることができたという。モースの陶器コレクションの中核となった蒐集は、3度目の来日(1882年6月4日-1883年2月14日)の際に実現した。日本行きの目的は、ピーボディ科学アカデミー(現ピーボディ・エセックス博物館)の職務による民具蒐集と民俗学・考古学・陶器の研究であった。同行したウィリアム・S. ビゲローと、日本で合流したアーネスト・F. フェノロサらとともに、およそ2カ月にわたり関西・中国方面に蒐集に出かけ、3000点近い陶器を蒐集している(注4)。滞在中、モースは蜷川をはじめ多くの人々の協力をあおぎ、離日後も日本にゆかりのある人物たちとの交流を通じてコレクションを充実させ、その数は最終的に7000点近くに及んだ〔図1〕(注5)。大部分は1890年にボストン美術館に寄託、92年に売却され、その成果は1901年にボストン美術館から『モース・コレクション日本陶器目録』(以下『目録』)として刊行された。膨大な数に及ぶモースの陶器コレクションであるが、その特徴は第一に蜷川式胤が記した日本陶器の研究書『観古図説陶器之部』流の価値観に基づき、産地・窯・窯元・陶工別に分類されている点にある。動物学者の素養を生かし、『目録』には実に1545個におよぶ銘を記載している。そして第二に、審美的価値基準ではなく、博物学的な観点から一種の標本として日本のやきものの全体像を提示しようとした点に特色がある。桃山陶や近世の京焼など今日においても評価の高い作例と、当時の日本国内で一般に流通していた日用品を分けることなく総合的に蒐集し、特に同時代の明治の生活の様子を示す陶器を豊富に揃えている。現在では失われた窯の作例が含まれており(現存は200窯のうち約140窯)、もはや日本国内にも体系的な形で残されていない点で貴重な存在である。モース・コレクションとルックウッド・ポタリーこうして蒐集されたモースの陶器コレクションの一部は、1886年にルックウッドに売却された。この年モースは日本の画派、陶磁器、茶会などについてシンシナティで講演し、ルックウッドはモースから672点の陶磁器を購入している。ルックウッドに近接し、人的・資金的に密接な関係にあったシンシナティ美術館には、同年売却を打診するモースから美術館の初代館長アルフレッド・T. ゴショーンに宛てた手紙が残されている〔図2〕。さらにルックウッドは翌1887年セーラムのモースのもとへ絵付
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