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― 405 ―師を派遣しており、この時モースのコレクションを参照したと考えられる(注6)。ルックウッドの型録には、10点(#136、272、273、275、280、305、307、358、361、418)にモース・コレクションからとの記述がある〔図3〕。#136は日本の蓋付の茶入に、#358は急須、#361は手付皿、# 272は蜷川の旧蔵品で現在ボストン美術館が所蔵する楽々園焼の水指〔図4-1、4-2〕に類似し、シンプルな形状の他のルックウッド製品と異なり東洋陶磁を彷彿とさせる器形をしている。シンシナティ美術館は、世界各地に散在するルックウッド製品のまとまったコレクションを有するが、同館のコレクションの中には残念ながら上記の型番の作例は収蔵されていなかった。ただし、#280と同じ月に制作されたほぼ同形の#279が残されている〔図5-1、5-2〕(注7)。#279は日本ではしばしば向付に見られる器形であるが、ルックウッドの看板製品であった泥漿による花の絵付と深い黄褐色を特徴とする「スタンダード」シリーズであり、装飾面ではルックウッドの典型的なタイプといえる。型録には装飾の情報は記載されていないが、ルックウッドにおいて東洋陶磁の単色釉に倣った作例が登場するのは20世紀に入ってからのことであり、この時点でモース・コレクションからの影響は釉薬や絵付よりも器形面が中心だったのではないかと考えられる(注8)。また、このたびシンシナティ美術館を調査に訪ねた際、従来同館でも旧モース・コレクションであると考えられてきた日本陶器およそ600点が、実は1893年にルックウッドの絵付師・白山谷喜太郎が日本から持ち帰り、1898年と1900年に寄贈されたものであったという情報を得た(注9)。ルックウッドが入手したモース・コレクションは1888年からシンシナティ美術館に寄託されていたが、その後1970年にルックウッドの創業者の孫に返却され、のちオークションで売却されていた。白山谷の蒐集品は、モースのものと同様、布志名(出雲)焼や万古焼など同時代に日本国内で流通していた酒器と急須から成る〔図6〕。これらについては美術館にも詳細な記録が残っていないが、日本陶磁の研究のために帰国した白山谷が、ルックウッド製品の参考にするために購入したと考えてよいだろう(注10)。バンフに残るモースの陶器コレクションモースの陶器コレクションは、カナダのカネディアン・ロッキーズ・ホワイト博物館(アルバータ州バンフ)にも残されており、これまで日本では詳細が紹介されていなかった同館を訪ねた(注11)。モースの孫で画家であったキャサリン・ロブ・ホワイトがカナダで開設した同館には、モースの自宅に残された美術品や民俗資料が収蔵

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