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― 406 ―されている〔図7〕。かつてキャサリンのアトリエだった小屋のいたるところに、モースの蒐集した陶器300-350点・漆器類・印籠・根付・櫛・かんざし・竹細工・縮緬細工などが収蔵されており、いまだ同館でもその全貌は不明であるという。陶器に関しては、このたび30点あまりを実見した限り、小品の茶碗や皿などを中心とする様子である。白山谷の購入品に見られたのと同種の、黄釉地に緑釉が流し掛けられた「出雲 若山」銘のある1880年頃の布志名焼や、京都の清水六兵衞銘の作など、モースと同時代の19世紀の各地のやきものが多数認められた〔図8-1、8-2〕。また、「モールス君ニ贈ル」と書かれた伊香保の「仙果」銘の猪口も含まれており、体系的なコレクションを手放した後もモースが晩年まで手元に残した、個人的な思い入れのある品々かとみられる〔図9〕。モース・コレクションのアメリカ陶芸への影響とその位置づけこのように、日本国内で流通した陶器から成るモース・コレクションであるが、ゆがみを持つ器形・渋い色調・光沢のない釉薬・釉薬の流れ・焼成時に生じる微妙な釉薬の変化・貫入といった同コレクションに通じる特徴を持つ陶芸がアメリカで本格化するのは、20世紀にさしかかる頃のことである(注12)。アメリカにおいては、早い例では1880年代後半に始まり1900年代から1920年代頃を中心に、絵付のない鮮やかな色調の単色釉・結晶釉が流行した〔図10〕。アメリカでは20世紀前後に隆盛したアーツ・アンド・クラフツ運動と、その後のスタジオ・ポタリー運動の中で、手仕事への評価や、作り手の個性の現れとして、ゆがんだ形や流れる釉薬や焼成時に窯の中で生じる偶然の効果が見出されたのである。これらの登場には、当時欧米で流行していた明清時代の単色釉・窯変の中国陶磁や、1893年のシカゴ万博や1904年のセント・ルイス万博で展示された、つやのない釉薬が厚くかかった有機的な形態のフランスのアール・ヌーヴォーの炻器が影響したと指摘されている〔図11〕(注13)。ここで、フランスの炻器の誕生に1878年のパリ万博における日本の伝統的な陶磁器の展示や、1877-78年に刊行された蜷川の『観古図説』フランス語版が大きな影響を与えたという先行研究をふまえると、蜷川流の陶器観を体現し、フランスの主たるジャポニザンたちと交流のあったモースのコレクションも、当然アメリカ国内の窯業界に影響を与えたと考えるのが自然である〔表1〕(注14)。事実、日本の輸出向け陶器を尊ぶ一般の見方に対し、日本の正当な文化に通じると自負するモースは、講演活動を通じてアメリカの大衆に日本に対する「正しい」理解

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