― 409 ―ション』東京新聞・中日新聞、1980年、9-17頁、蜷川親正「モースの陶器蒐集と蜷川式胤」守屋毅(編)『共同研究 モースと日本』小学館、1988年、381-424頁、Susan S. Bean, “Edward S.Morse, Collector- A New Perspective,” Orientations, Dec. 1995, Brussels: Arts dʼExtrême-Orient, 35-40、中西道子「『日本陶器目録』とその周辺」『モースのスケッチブック』雄松堂、2002年、467-484頁などが挙げられる。⑶竹内順一「日本陶磁研究史序説(6)─明治のタイムカプセル」『陶説』573号、日本陶磁協会、2000年、82-85頁で紹介されている。⑷7月26日に出発、箱根・静岡・浜松・豊橋・名古屋・四日市・大津・京都・大阪・広島・岩国・神戸・大阪・和歌山・奈良・京都をめぐり9月に帰京。万古焼の半助、蔵六、和気亀亭、清水六兵衞、楽吉左衛門、永楽善五郎などの陶工に会っている。⑸『目録』によると古筆了仲などの鑑定家や、山やまたかのぶつら高信離、塩田(真か)、執行弘道、松木文恭らの協力を得る。また金子健太郎伯爵、薩摩の知事、東大総理の加藤男爵、大隈重信ら政府高官や旧家のコレクションの一部を譲り受けている。離日後もW. S. ビゲロー、デンマン・W. ロス、チャールズ・G. ウェルド、チャールズ・L. フリーア、ルイ・ゴンスらの支援を得た。その経緯は、ウェイマンによる伝記に詳しい。⑹Sylvester Baxter, “The Morse Collection of Japanese Pottery,” The American Architect, Salem: EssexInstitute, May 28, 1887, 5-16より。⑺Anita J. Ellis氏のご教示による。⑻モースからコレクションを購入したルックウッドの創業者・マライア・L. ニコルズは、その質に不満を述べ、より装飾的な作例を希望していたことからも、コレクションの釉薬や絵付を評価していなかったことがうかがい知れる。(ニコルズからモースへの手紙:モース・ペーパー、ピーボディ・エセックス博物館より。)⑼シンシナティ美術館学芸員のHou-mei Sung氏、同館前学芸部長のAnita J. Ellis氏のご教示による。2015年2月14日-8月30日に開催された同館の日本美術コレクションの展覧会「Masterpieces ofJapanese Art」の調査の中で明らかとなった。⑽なお、ルックウッドは布志名焼と相互に影響を与え合っている。詳しくは、河野克彦「明治期の出雲焼の研究:米国ルックウッド・ポタリーとの影響関係をめぐって」『鹿島美術研究』年報別冊第31号、鹿島美術財団、2013年、328-339頁、阿部賢治「布志名焼窯跡出土遺物の検討─刻印と米國ログウード風の陶器について─」『島根考古学界誌』30集、島根考古学会、2013年、39-63頁などを参照。⑾これまで言及された例は、中牧弘允「バンフのモース・コレクション」『モース・コレクション』千里文化財団、1990年、146-147頁、三木美裕「陶器収集にかけた情熱」『明治のこころ モースが見た庶民のくらし』江戸東京博物館、2013年、192-193頁など。⑿グルービー・ポタリー、ファルパー・ポタリー、ヒュー・C. ロバートソン、アデレイド・ロビノー、メアリー・C. ペリー、ジョージ・オー、ユニヴァーシティ・シティ・ポタリーなどの作例が挙げられる。⒀たとえば、20世紀前半の代表的な陶芸家M. C. ペリーはチャールズ・L. フリーアの東洋陶磁コレクションから、A. ロビノーは訪米したフランス人陶芸家・T. ドーから影響を受けている。他、フランスの炻器の例としてはテオドール・デック、ユージン・シャプレ、ジャン・カリエス、オーギュスト・ドラエルシュ、ジョルジュ・ウーンチェル、ピエール・A. ダルペイラらの陶芸が挙げられる。フランスとの交流については“Myths of Style and Nationalism: American Art
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